南北海道は昨年準優勝の札幌日大が小樽双葉を10-3の7回コールドで下し、8強に進出した。同点の6回1死一、三塁で、北海道日大(現北海道栄)の選手、監督として甲子園を経験している折霜忠紀部長(64)の次男、浩徳中堅手(3年)が、決勝の遊撃強襲適時打を放ち勝利に貢献。

ベンチ端で見守る父の前で、値千金のタイムリーを放った。同点の6回1死一、三塁、札幌日大・折霜は「とにかく思い切り振ることだけを考えた」と内角直球をフルスイング。やや差し込まれたが、強い気持ちがボールに乗り移り、遊撃手のグラブをはじく、決勝打となった。初回の走塁で一塁を駆け抜ける際、相手選手と交錯し右足首を負傷。「冷やして痛みは取れた。問題はなかった」と、体を張って、勝利に尽力した。

北海道日大(現北海道栄)の遊撃手、主将として75年春、夏、監督として81年春に甲子園出場した父忠紀部長(64)と臨む最後の夏。自宅には選手時代の父の入場行進写真が飾られている。「見ると気持ちが高ぶる。父には『甲子園に行くには1球1球が大事。自分で行ってすごさを感じて来い』と言われている。チームのためにできることをやって、父と甲子園に行きたい」と意気込んだ。

苦しんだ分、成長があった。今春の地区予選後の練習でぎっくり腰になり、全道はスタンド応援。準々決勝敗退したチームを外から見て「エースの宮武が孤立して見えた。もっと声かけが必要だとミーティングで伝えた」。復帰した今夏の地区予選は7打数無安打。横からのトス打撃を毎日10本6セット続け「最短距離で振れるようになった」。チームと自身を冷静に見直し、勝利を呼び込んだ。

準優勝した昨夏は、背番号17でベンチ入り。準決勝では途中出場し1安打も、北海との決勝は、ベンチで敗戦を迎えた。「ミスが重なって負けた。あの経験を踏まえ、今年は細かいところから詰めてきた」。秋はコロナの影響で出場辞退。戦う前にセンバツ切符を逃した。最後の夏こそ父との夢を果たす。【永野高輔】