悲願の優勝旗「白河の関越え」達成を記念し、日刊スポーツの東北支社、支局に駐在した歴代の高校野球担当記者がさまざまな思いを語る「白河の関越え 思いを馳せる」第5回は86~90年、東北支社在籍の赤塚辰浩記者です。

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「今の高校野球って、こんな高度なこともできるんだ」。22日、仙台育英対下関国際の決勝戦。5回裏仙台育英2死一塁の場面。一走の橋本航河(2年)が、ディレードスチールで二塁を陥れたのを見て、うならされた。直後に山田脩也(2年)が中前適時打。貴重な3点目に結びついているのだから、あの思い切りの良さは効果絶大だった。

1986年(昭61)。仙台育英は、竹田利秋監督(81=現国学院大総監督)が宿敵の東北高から移籍。その年、いきなり甲子園出場を決めた。新人で東北支社に配属された私は、初戦の佐伯鶴城(大分)戦をテレビ観戦していた。試合は3-4で惜敗。敵失が絡んで本塁突入のチャンスがあったが、突っ込まなかった。

「何で突っ込まないんだ」。指揮官はベンチから身を乗り出し、こう言っているように見えた。ナインが仙台に帰ってきた時にあの場面について尋ねると、「あれが私の指導の限界だったのかもしれません」と話していたのを覚えている。

当時の弊社・東北支社長は「引っ込み思案では勝負に勝てない」とコラムでよく書いていたし、何度も聞かされた。

以降、高校野球の取材では「思い切りの良さ」「1点をもぎ取る貪欲さ」があるかどうかを注視してきた。

ある試合の2死三塁で打者が四球を選んだ。次打者は捕手で、ネクスト・バッタースボックスでチェンジに備え、あらかじめ着けていたレガーズを外している。相手の投手が、その動作に気を取られているとみるや、四球を選んだ打者走者がそのスキを突き、一塁を蹴り二塁を狙った。それに慌てた投手が二塁へ送球する間に三走が本塁を陥れた。

別の試合では「ストライクバントスクイズ」を見た。同点で迎えた9回裏1死満塁、カウント3-1。うまく転がしてサヨナラ勝ちした。「投手は絶対にストライクが必要な場面。ボール球なら見逃せば押し出しだから」と語った監督の読みに裏打ちされた作戦にうならされた。

その最たる例は金足農(秋田)が得意としていたツーランスクイズだろう。88年秋の秋田県大会準決勝では6-7の場面で仕掛けて決勝点を挙げた。その伝統は、18年夏の甲子園、準々決勝・近江(滋賀)戦のサヨナラツーランスクイズに生かされた。断片的な事例かもしれないが、いずれも成功させた選手たちの“意識の高さ”がうかがえる。

ただ、「投げる」「守る」「打つ」「走る」にとどまらない。プロでもなかなかお目にかかれない高度な野球を、80年代後半から東北の高校生たちは実践していた。そんな土壌が耕され、練り上げられてきたからこその「白河越え」だと思っている。【86~90年東北支社、赤塚辰浩】