今夏の甲子園準優勝に輝いた下関国際(山口)で、人生を変えた投手がいる。同校から広島国際学院大を経て14年ドラフト6位でロッテに入団した宮崎敦次氏(29)だ。18年限りで現役を引退し、翌19年から広島の打撃投手を務めている。

下関市立勝山中時代は控えの一塁手だった宮崎氏。野球とは一区切りつけようと思っていた中、自宅に1本の電話があった。「あれは坂原監督からでした。『野球どうや?』って言われて。僕も特にすることがなかったので、練習に行ってみようかと」。

キャッチボールの直後、坂原秀尚監督(45)から「ブルペンに入ってみろ」と言われた。投手経験は全くなかった。ただ言われるがままにストレートだけを投げ込み、素質を見込まれた。「なんで中学で補欠だったんだ? ピッチャー3年間やったら伸びるのに」。そんな褒め言葉は人生で初めて言われたという。

運命の日から本格的に投手転向し、努力を重ねた。大学4年の秋には広島6大学で6勝1敗、防御率1・61の成績で優勝に貢献。最優秀選手賞を獲得し、ベストナインにも選出された。「坂原監督がいなかったら、今ここにいることはまずない。人生がどうなっていたかも分からない。でも下関国際で野球をやっていくうちに意識が変わって、上の世界でやりたくなりました」。

プロでは通算8試合で0勝0敗に終わった。今は広島の打撃投手としてサポートする側に回っている。優勝候補の大阪桐蔭を破った後輩たちの快進撃には「誰もが勝つのは大阪桐蔭と思っていたであろう中、勝ってくれたのは本当に誇りに思いました」。宮崎氏は、感慨深げだった。【只松憲】(おわり)