日大三が2年連続19度目の甲子園出場を決めた。今年3月に退任した前監督の小倉全由氏(66)が、三木有造監督(49)が率いたチームの戦いを神宮で見つめた。

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日大三(以下三高)の一塁岡村がウイニングボールを捕ると、目の前には今まで見たこともない景色が広がっていました。バックネット裏の最上段の私に、スタンドの皆さんが振り向いて、一斉に祝福の声をかけてくれました。拍手してくれた方もいました。

「三高は優勝したんだ。三木監督と選手たちがやってくれたんだ」。そう思うと、もう居ても立ってもいられず、すぐにスタンドの階段を下り、三高ベンチへ向かいました。

主将二宮が泣きながら、何か言ってます。昨秋の東京大会決勝で東海大菅生に負け、最後の打者だった二宮は号泣していました。同じ泣き顔でも、真夏の神宮で見せた汗まみれの顔は、私の胸にまっすぐに届きました。

「もう、監督じゃないのに、自分は何をやっているんだろう」。そう客観的に見ようとする自分もいましたが、監督を託した三木への思い、必死に三木についてきた選手への思いに、どうしてもねぎらいたかった、その一心でした。

そしてエース安田がまた泣きながら言ってきました。「監督さんが座っている位置はわかってました。最後はきつかったんですが、監督さんの顔を見て投げました」。作文がうまくて、俳句も詠める。しっかりした安田が、そんな言葉をかけてくれるとは。

気が付けば、私は三高ベンチで流れる涙を、うれし涙を、我慢できませんでした。「泣く前監督なんて聞いたことないぞ」。もう1人の自分がそう言っていますが、もう、熱い気持ちは抑えられません。

言い方は悪いのですが、私は監督を退任する決断をして、選手を置いて現場を離れたのです。それは次を託す監督がいるから決断したことであり、今の3年生ならきっと、西東京を勝ち抜いてくれると信じていたからです。

監督を退任し、三木新監督に委ね、そして今夏甲子園を決める。絵に描いたような理想でしたが、それを成し遂げた三木監督のつらい心境は察するに余りあります。

準決勝を終えた後、私に電話がありました。まあ、気が付いたことだけ話すと、話の流れからうちの(敏子夫人)に代わりました。すると三木は「監督は眠れなかったことはなかったんですか?」と、聞いてるんです。そして「眠れないんです」と本音が漏れました。

こういう時、うちのははっきりしてます。「何言ってんのよ、寝なきゃだめでしょ。あなたがしっかりしないでどうすんの? しっかり寝て、しっかり選手を勝たせてあげなさい。三木君ならきっと大丈夫だから」。

こんな会話をそばで聞きながら、内心「こんな重荷を背負わせてしまった」という思いと「何とか、ここを乗り越えてくれよ」という思いが交錯していました。

3年生には最後の戦いです。もう託した三木が自分の手で勝ち抜くしかない、そんな思いで電話を切りました。

前監督がベンチで泣き、優勝監督はインタビューで涙声になり、お恥ずかしい限りです。しかし、これが新しい三高の幕開けです。ここから、しっかり地に足をつけ、準備を怠らず、甲子園で思い切り戦ってもらいたいです。

メンバーから外れた3年生も、スタンドでメガホンで叫び続けてくれた下級生も、みんなで心をひとつにして優勝してくれました。吹奏楽、チアリーダー部を含めた三高へ、こころからお祝いの言葉を贈りたいと思います。優勝、おめでとうございます。(日刊スポーツ評論家)