耐久(和歌山1位)が4強入りし、春夏通じて初の甲子園出場が確実に。歴史の扉を開いた。

江戸時代の1852年(嘉永5)に学校創立と、日本有数の歴史があるが、野球部は県の頂点にも立ったことがなかった。03年秋に県ベスト8に進み、21世紀枠の近畿地区推薦校になった。

学校は和歌山市から約30キロ南にある湯浅町にある。地理的に和歌山市の学校を選ぶ生徒も多い。学校の寮はなく、近隣から通う生徒がほとんど。現在の部員は2年生10人、1年生9人の19人。引退した3年生は6人だけだった。

耐久の監督を務めたこともある和歌山県高野連の高津亮理事長は感無量の様子だった。「(歴史が)動きましたね。ようやりました」としみじみ語った。かつて耐久のエースだった井原正善監督(39)は教え子で、大学の後輩でもある。

◆耐久 1852年(嘉永5年)に人材養成の稽古場「耐久社」として創立した県立校。野球部は1905年(明38)創部。夏は和歌山大会4強が最高。春夏とも甲子園出場なし。主な野球部OBに元阪神で虎風荘寮長も務めた梅本正之ら。バドミントン部は強豪。和歌山県有田郡湯浅町湯浅1985。戸川しをり校長。