仙台育英の田中優飛投手(18)が、東京6大学野球の立大に進学。田中は大学での目標を聞かれ、「トリオ超え」と豪語。チーム1のマウンド度胸を武器に、大学4年間で湯田統真、高橋煌稀、仁田陽翔(全員18)の150キロトリオ超えを目指す。22年夏、東北勢悲願の甲子園初制覇、昨夏の準優勝に大きく貢献した湯田は明大に進学。大学での目標に「安定して150キロ以上」と「タイトル獲得」を挙げた。

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「プロに行きたい」から「高いレベルでやりたい」へと目標を見直したときに、須江航監督(40)に「東京6大学はどうだ」と言われ、さまざまな話を聞く中で立大に心が動いた。練習を見に行き、「育英の練習と近いと思いました。自主的な部分を重んじている」。雰囲気が近く、レベルが高い環境で「トリオ超え」を目指す。中でも、同じ東京6大学の湯田や早大・高橋にライバル心を燃やし、「湯田、高橋を超える」と言い切った。「ずっと2年生の夏から追いかけてきた2人とまた同じ舞台でできる」。「世代を代表する投手」と認める2人を目標に据え、4年間で自身もトップに食い込むつもりだ。

経験が田中を形作る。田中は、3年春のセンバツ報徳学園(兵庫)戦で敗戦投手となった。10回裏タイブレーク、4-4で迎えた2死満塁の場面で左前打を浴びた。「打たれた瞬間に『あ、抜ける』と分かった。何も考えられないというか…。映像を見返しても、ずっとベンチの方を向いてボーッとしていた。これが頭が真っ白になるということなんだ、と」。その日は試合の動画を夜中3時まで見返した。「『何をどこにどう投げたら良かったのか』をずっと考えていました」。仁田-高橋-湯田とつないで最後にマウンドに立ち、サヨナラ負け。「3人がいる中で、自分が投げた結果があれ。『何でだ』って。あそこで打たれたら『3人に並べないよな』というのもあった」。

「もう次はないぞ」。根底にはこの考え方がある。東京6大学の主戦場・神宮球場では、2年秋の神宮大会、大阪桐蔭戦で登板。2-1で迎えた6回1死満塁で登板し、逆転を許した。田中は「(神宮は)打たれているイメージしかないが、4年間また神宮で戦える。打たれた後の雰囲気も味わっているので、次打たれても平常心でいられると思う」。指揮官も「一番肝が据わっている」と認める強心臓と、最高の経験を武器に、大学では勝利の経験を積んでいく。【濱本神威】

 

○…プロ入りを見据え、進化を遂げる。湯田は早大進学のエース高橋、田中ら切磋琢磨(せっさたくま)してきた仲間と東京6大学で激突する。「(対戦は)楽しみというのとやるからには勝ちたいという気持ちがあります」と闘志を燃やし、4年間での飛躍を誓った。

経験を武器に新天地へと向かう。2年時の大阪桐蔭との練習試合が大きな成長をもたらした。当時3年の松尾汐恩捕手(19=DeNA)の本塁打が口火となり連打で2失点。1死のみで降板した。「全国レベルを思い知った。常に(全国レベルの打者を)考えながら投球するようになり、モチベーションにもつながった。この試合がなければ今の自分はいない」と振り返った。

また、入学当初は先輩とのレベルの差や、21年秋に東北大会で花巻東に敗れ、翌春のセンバツが絶望的になるなどモチベーションの維持に苦しんだという。それでも信念は決して曲げなかった。「自分に対して期待をしている。何でもできると思っている」。どんな時でも自分自身を信じ抜き、夢であるプロの世界に向けてひた走る。

 

◆田中優飛(たなか・ゆうと)2005年(平17)7月2日生まれ、神奈川県横浜市出身。中尾小2年時にオール川井で野球を始め、希望が丘中では横浜緑ボーイズでプレー。仙台育英では2年夏にボールボーイを務め、春のセンバツで初めて聖地に立った。3年夏と合わせて5試合に登板。最速は145キロ。目標の選手は西武・杉山遥希。177センチ、82キロ。左投げ左打ち。

 

◆湯田統真(ゆだ・とうま)2005年(平17)12月31日生まれ、福島県泉崎村出身。小4年から白河リトルで野球を始める。泉崎中では軟式野球部。仙台育英では2年夏に背番号「18」で東北勢初の甲子園優勝を経験し、昨夏は準優勝。最速153キロ。181センチ、86キロ。右投げ左打ち。