雨降りの甲子園球場に午前8時37分、観光バスが到着した。計5台、全てが金沢ナンバーか石川ナンバー。フロントガラスには「能登の高校球児応援プロジェクト」と掲示されている。

青パーカー、赤パーカーと高校生たちが続々と降りてくる。引率教員も含めると178人。石川県高野連に所属する能登地区13校の野球部員たちだった。女子マネジャーたちはパーカーのフードをかぶり、屋根の下へ駆け込む。皆、息が白いが足取りは軽い。

前夜9時半、羽咋工から出発した。高速道路のサービスエリアで休憩しながら甲子園へやって来た。23日の第1試合に登場する日本航空石川と、第2試合に出る星稜の応援だ。しかし雨天順延になり、そのまま甲子園記念館の見学へ向かった。

特に、日本航空石川は能登半島の輪島市にある。ともに1月1日の能登半島地震で被災した。その中で「航空を応援したい」という機運が高まり、県高野連、日本高野連をも動かした。

能登の高校生たちは、サプライズで聖地のグラウンドにも降り立つことができた。その後、羽咋工・岡羚音(れおん)主将(3年)と穴水・東野魁仁主将(3年)が代表して報道陣の取材に応じる。

志賀町で震度7を経験した岡主将が「命もあるかなと思うくらい揺れて。いま生きていることに感謝したいと思います」と言えば、東野主将は「金沢で家族と買い物している時に地震があって。第一に野球部や親族を心配しました」と当時を振り返る。その様子を、石川県高野連の佐々木渉理事長(50)がうなずきながら見つめる。

佐々木理事長は輪島市の出身。「(今は)七尾市に住んでおりまして、被災者の1人でありまして…。断水生活もしばらくあったわけですけども」と回想する。仕事はもちろん、大変な日常を過ごしている。

能登の生徒たちを引率した甲子園見学を終え「興奮しています」と率直な心境を口にした。「子どもたちの笑顔、それと喜ぶ声を聞いて、とても安心しました」とうれしそうに話した。

13校ともすでに週末の練習を再開できているという。「理事長」という自身の立場を冷静に口に受け止めながらも、それでも思いは自然とあふれ出る。

「何とか能登地区の加盟校も部活動を再開し、この機会が春の大会に向けてのパワーになったんじゃないかなと思います。若干練習不足ではありますけども、夏は今度は、このようなご厚意で甲子園の土を踏むのではなくて、実力で今日参加した能登の加盟校が甲子園の舞台に立つ姿を。理事長という立場で1つの地方を言うのはあれかもしれないですけど、そういうチームが甲子園に立つ日が来ていただくと、能登の人たちにも力になるかなと思ってます」

高校生たちは聖地で円陣を組み、校歌を熱唱し、思い思いの土産を買った。一夜明けた24日、再び4校が“球友”の応援に訪れる予定だ。【金子真仁】