元日の能登半島地震で被災した日本航空石川が敗れた。

2日続けての雨天順延で迎えた初戦は、常総学院(茨城)を相手に粘ったものの0-1で惜敗した。1月中旬から系列校のある山梨県内に拠点を移し、段ボールベッドなどで生活。苦労の末に出場した甲子園で多くの拍手を浴びた。「石川県負けんぞ!」を合言葉にした星稜(石川)は8強一番乗り。阿南光(徳島)も準々決勝に進んだ。

中村隆監督(39)が男泣きした。「最後まで全くあきらめることなく、笑顔と感謝と恩返しを本当に体現してくれたと思います」。二遊間の好守で流れを引き寄せた0-1の9回裏、主将の宝田が先頭で出塁し盗塁を決めた。その後1死一、三塁をつくるも、最後の打者は併殺打で試合は終わった。

長い3カ月だった。元日の地震後、校舎のある石川・輪島に戻れていない選手が大半だ。山梨に拠点を移し、段ボールベッドで過ごす日々。「先輩と話す機会が増えてうれしい」と前向きな声もあれば、ひとつの教室で20人が寝る環境に苦しむ部員もいた。抱える思いはそれぞれに違い、毎日が過ぎた。

宝田が流れを変えた。センバツ出場が決まり、2月末に輪島市役所を表敬訪問。全焼した輪島朝市や倒壊したビルの写真を、部員のLINEグループに貼った。この日好投した猶明は言葉が出なかった。「くちゃくちゃで家もなくて。戦争が終わったみたいな感じになっていて」。仲間のフィルターを通して現実に直面し、1つになって、思いを強めた。帽子のツバ裏に「笑顔 感謝 恩返し」とおのおのが力を込めて書き込んだ。

出場32校の最後の登場。2日連続での試合順延。それでも集中力を切らさずに全力を出し切った。夏こそは全国制覇を。4月以降、東京・青梅市の明星大キャンパスに学校機能も生活拠点も移る。中村監督は「野球を通して何かを伝えられたら」と気持ちをぶれさせず活動していく。

まずは荷物を取りに、能登の母校へ戻る。「実際に輪島を見ます。自分たちは見ていないので。みんなと一緒の気持ちになれたら」と猶明。現実を肉眼に焼き付け、青梅での新生活が落ち着いたら再び。「少しでも輪島の力になれるように野球部でもボランティア活動を積極的にしていきたいです」。勇気をもらった部員からは、そんな声も上がっている。【佐瀬百合子】

<日本航空石川ここまで>

◆23年10月22日 北信越大会準決勝で敗退

◆同12月25日 年内の練習を終了

◆24年1月1日 能登半島地震で被災

◆同19日 拠点を山梨県へ。富士川町内の旧増穂商グラウンドで練習開始

◆同26日 センバツ選考委員会で甲子園出場決定

◆同2月12日 全部員67人が山梨に集結

◆同3月2日 練習試合が解禁され日本航空(山梨)と対戦し12-4で勝利

◆同3月4日 徳島・阿南市内で合宿開始

◆同8日 組み合わせ抽選会が行われ1回戦の相手が常総学院に決定

◆同18日 センバツ高校野球開会式で入場行進

◆同23日 1回戦が雨天順延に。翌24日も天候不良で再び順延に

◆同25日 常総学院に0-1で惜敗