<IBAF18UW杯:日本2-3米国>◇8日◇決勝◇台湾・インターコンチネンタル

 世界一を目指した松井の夢が、決勝で散った。先発の桐光学園(神奈川)松井裕樹投手(3年)が、宝刀スライダーを軸に、5回まで9三振を奪ったが、6回に勝ち越し打を浴びて力尽きた。5回に仙台育英(宮城)熊谷敬宥外野手(3年)の中前適時打で挙げた先制点を守れず、5安打5四死球3失点、105球で降板。米国に敗れ、初優勝を逃した。

 ちょうど100球目をはじき返された。同点で迎えた6回2死二塁。松井がフルカウントから強く腕を振って投じた144キロ直球は、中前に抜けた。国際大会決勝で重い勝ち越し点を許し、天を仰いだ。「何とか粘って最少失点に抑えようと思ったんですけど…」と言葉を絞り出した。

 伝家の宝刀スライダーは米国に通用した。「スライダーを振ってきていた。高いレベルの打者とやって、これからの野球人生でも生きる」と敗戦にも手応えをつかんだ。1回。先頭ローアを2ボール2ストライクから、スライダーを外角から鋭く曲げて見逃し三振。2回2死一、三塁のピンチでは、この日最速の147キロ内角直球で見逃し三振を奪った。5回まで9奪三振と見せ場は十分だった。

 本気で世界一に挑んだ戦い。「うまい人が結束して本当にいいチームになった」と力にした。国際舞台でも、松井は投球時に、跳び続けた。ゆったりと上げる右足は、マウンドのプレートから7・5歩離れた地点に着地する。チーム最長身の188センチの前橋育英・高橋光でさえ6・5歩。174センチの左腕はさらに1歩広い歩幅で投げる。下半身が柔らかく、強くなければ出来ない。1歩分ベースに近づいて球をリリースすることで、打者は球が伸びてくると感じる。米国相手にも、信じたスタイルを貫き通した105球だった。

 だからこそ「(神奈川大会とW杯)2つの大会に負けて…最後は悔しい思いばかりした」と唇をかんだ。今年の1月10日、年始の練習で「世界一の左腕になる」と目標を掲げた。その宣言はあまりにも大きく「実はあれ、結構バカにされてるんですよ」とこぼすこともあった。それを信じ続け、この日の舞台に立った。

 試合後は「上で野球を続けていきたい。帰って(桐光学園の)野呂監督とゆっくり話をしたい」と話した。近いうちにプロ入りを表明することは濃厚。ひとまず世界一への挑戦を終えた。【島根純】

 ◆過去の日本

 初出場の82年は東都大学選抜で臨み準優勝。99年は沖縄県高校選抜が5位。高校日本代表としてはダルビッシュ(東北)涌井(横浜)らを擁した04年に初参加し、ダルビッシュが先発した決勝でキューバに敗れ準優勝。藤浪(大阪桐蔭)大谷(花巻東)らが参加した昨年は6位。