東大が法大に連勝し、02年秋の立大戦以来の勝ち点を挙げた。プロ志望届を提出したエース宮台康平投手(4年=湘南)が、5点リードの6回から登板。7日の同戦で9回2失点と完投した翌日に連投し、4回4失点ながら1点リードを守りきった。法大からの勝ち点は93年秋以来で、同大から連勝での勝ち点は1928年(昭3)秋以来、89年ぶりの快挙。最下位も脱出し、エース宮台を軸に変革期を迎えた「新・東大野球」で旋風を巻き起こす。

 東大のエース宮台は、こん身のガッツポーズで勝ち点の重みを表現した。1点リードの9回2死二、三塁。134キロの直球で左飛にねじ伏せた。02年秋の立大戦以来の勝ち点で、法大相手に連勝で勝ち点を挙げたのは、実に89年ぶりの快挙。「今までにない達成感。1勝とはわけが違います。東大に受かった時もうれしかったですけど、その時と同じようなレベル」と、喜びをかみしめた。

 魂の直球勝負で、歴史の扉をこじ開けた。2点リードの9回1死一、二塁から打者3人、14球全て直球。「(変化球を)拾われて落ちると、ランナーがかえる。真っすぐで詰まらせた方がいいと」。東大左腕らしく、明確な理由を示した上で「最後は気持ち」と心は熱く、頭は冷静に一ゴロ、左飛で詰まらせた。

 宮台の存在が、チームを大きく変えた。入学した14年は大型連敗の最中。1年春はスタンドから見つめ「本当に悔しかった」。15年秋に自身初勝利で、ワーストの連敗を94でストップ。通算6勝を挙げ、新たな風を吹き込んだ。文武両道を貫き、昼は練習、夜は勉強。4番の田口耕蔵内野手(4年)は「宮台はいい手本」と評した。

 思い描いた通り、宮台中心に勝利の瞬間を迎えた。浜田一志監督(53)は「勝ち点を取る最後のマウンドには、宮台が立っていてほしいと思った。チーム全員の願い」と話した。左肩痛に苦しんだ昨年11月には「宮台復活委員会」が結成され、新フォームを研究。9回2失点、121球で完投翌日の連投でリードを守り抜き、結果で実らせた。

 5日にプロ志望届を提出し、現状では日本ハムなど5球団から調査書が届いた。ドラフトについては「別物。今は学生野球に集中したいです」とシャットアウトした。「こういう戦いをすれば、勝ち点を取れることがわかった。ここがゴールじゃないので、何とか(21日からの明大戦で)勝ち点を取って、終わりたいです」と勝ち点2での有終の美を誓った。【久保賢吾】

 ◆1928年(昭3)の世相 張作霖爆殺事件、最初の普通選挙などがあり、医学者、細菌学者の野口英世が死去。アムステルダム五輪では3段跳びの織田幹雄、競泳200メートル平泳ぎの鶴田義行が金。プロ野球のリーグ戦が始まる8年前にあたり、まだ第14回だった夏の甲子園(全国中等学校優勝野球大会)では中島治康(後のプロ野球3冠王)の松本商(松商学園)が優勝。