東日本国際大(福島・南東北)が京都学園大(京滋)を2-0で下し、10年ぶり3度目の8強に進出した。全国初先発の右横手投げ、粟津凱士(4年=山本学園)が9回9安打8奪三振無四球で初完投初完封をマークした。同じ右サイドの元西武潮崎哲也(49=現西武2軍監督)が得意としたシンカーを動画サイトを見て独自に研究し、中指と薬指で球を握る“魔球”を習得。縦に落ちるシンカーを自在に操り、2戦連続の完封勝ちに導いた。今日14日の準々決勝は慶大(東京6大学)と激突する。

 「ヨッシャー!」。粟津は最終打者を投ゴロに打ち取ると、思わずマウンド付近で絶叫し、右手で大きくガッツポーズをつくった。2日連続の登板にもかかわらず全国初完封をマークし、計12回2/3で無失点。横手より少し肘を上げた右腕を小気味よく振って、118球で料理した。「序盤から厳しい場面が多かったけど、要所で粘れた。全体的に変化球が低めに決まっていた」と汗をぬぐった。

 自在に操る2種類のシンカーがまるで魔球のようにさえ渡った。4イニングで先頭打者を許すも、ピンチの場面では110キロ後半から120キロ前半の間で強弱をつけたシンカーを、低めに投げ込んで切り抜けた。

 粟津 遅いのと速いのと2つある。左にも右にも投げられて、両方でカウントも空振りも取れる。(相手が)シンカーに全く合ってなかった。自信があったので、多く使った。

 3年時に習得した新球が、投球の幅を広げた。同じ右横手投げでシンカーを武器としていた元西武の潮崎を動画サイトで徹底研究し、中指と薬指に挟む独特の握りをマスター。今では握りの深さを変えることで「曲げ幅と落とし幅を調整できるようになった」と自信を見せる。相手1番の萌抜(はえぬき)哲哉内野手(4年=綾部)は粟津から3安打しながらも、シンカーに舌を巻いた。

 萌抜 あれはフォークですか? 手元ギリギリまで落ちないので、見極めが難しかった。球のキレとコントロールがすごかった。

 今日の準々決勝を勝って、11年ぶりの4強を狙う。「これからつらい戦いになる。1戦1戦任されたら、0点に抑えて貢献できるように」。前日に全国初勝利したエース船迫(ふなばさま)大雅(4年=聖光学院)との右横手2枚看板を形成し、一気に初の頂点へ駆け上がる。【高橋洋平】

 ◆粟津凱士(あわつ・かいと)1997年(平9)3月1日、山形市生まれ。山形七小3年から野球を始め、山形二中では軟式野球部。山本学園では2年秋に県大会V。東日本国際大では1年春からベンチ入りし、今春は無傷の5勝をマーク。180センチ、80キロ。右投げ右打ち。家族は両親と姉。