プロ経験なしで指導者へ異例の転身を果たした日本ハム原田豊2軍総合コーチ(59)が15日、鎌ケ谷で指導を開始した。

「ワクワクします。グラウンドに立てるだけでね」。ユニホームの採寸が間に合わず、ややダボダボのズボンに黒のソックスを無理やり履いたオールドスタイル。「ユニホームは、あり合わせのもの。ソックスは裕志(飯山2軍内野守備コーチ)に借りました。(オールドスタイルは)アマ出身らしくて良いじゃないですか」と笑った。

社会人や高校野球では長く指導者としても活躍した。柳井高(山口)の監督を退任した13年4月以来のユニホーム。栗山監督からは「自由にやってくれと言われました」。今年12月で還暦を迎えるが、ジム通いも始める予定で「打撃投手やノックも打たないといけない。一から体作りです」と情熱は燃え上がる。

14年から5年間、アマスカウトとして選手発掘に尽力してきた。担当した清水や田中豊らとも再び近くで接することになる。18日までの秋季練習4日間は、流れの把握や、選手とのコミュニケーションを図りながら「様子を見ます」。豊富な経験を生かして若手を育成する。【木下大輔】

◆原田豊(はらだ・ゆたか)旧姓・西本。1958年(昭33)12月18日、山口・徳山市(現周南市)生まれ。柳井高から進学した東海大で遊撃手として活躍。同学年の巨人原監督とは三遊間を組んだ。協和発酵に入社した1年目の81年に津田恒実(のち広島、故人)と2人で他チームの補強選手として都市対抗に出場。監督も5年間務め、会社員を経て、13年4月まで約1年間、柳井高監督。14年1月から日本ハムで九州地区担当スカウトを務めた。