日本ハムは2018年で北海道移転15年。過去の名場面、珍場面を、当時の紙面とともに振り返ります。

<05年10月4日>

思わぬ「逆転劇」だった。福岡第一の大型内野手・陽仲寿(現岱鋼)の入札は、日本ハムとソフトバンク。抽選で先に封を開け、ガッツポーズをつくったのは王監督(現会長)。日本語がわからないヒルマン監督は「何か書いてあれば当たりだって言われていたんだけど…。王監督が喜んでいたので外れたかなと」と、球団のテーブルへ引き揚げた。

だが、高田GMが自席でくじを確認すると「交渉権確定」の文字が…。思わず「当たってるんじゃないの~」と叫んだ。くじには当たり外れに関係なく、日本プロ野球組織の赤い印鑑が押してあった。王監督はそれを当たりくじと勘違いしたのだ。

運命に振り回されることになったのは、張本人の陽だ。高校時代を過ごした福岡、兄の耀勲も入団する予定のソフトバンクは、意中の球団だった。「一緒に野球をやれると思うとうれしくて。兄は日本語が分からないので助けてあげたい」。感極まって涙を流した直後、抽選結果が誤りであったことを伝えられた。

「何でこんなことになったのだろう」。いったん控室に戻り、気持ちを整理するのに時間がかかった陽だが、「(指名されて)うれしい気持ちに変わりはない」と日本ハムに入団。巨人にFA移籍する16年オフまで、4度のリーグ優勝に貢献、13年には盗塁王も獲得し、お立ち台での「サンキューで~す!」の決めゼリフとともに、人気選手のひとりとなった。