広島佐々岡真司投手コーチ(51)が日刊スポーツのインタビューで、目指す投手陣像について語った。分業制が確立された近年のシステムを受け入れながら、セ・リーグを制した91年当時の良さも取り入れる温故知新型で臨む構え。現役時代に100勝100セーブを達成した佐々岡流で投手王国を復活させ、リーグ4連覇の原動力になる。【取材・構成=村野森】
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佐々岡コーチは今キャンプ、救援投手にも先発調整をさせる方針を打ちだしている。投手陣を整備する上での考え方とは何か。
佐々岡コーチ(以下佐々岡) 僕らの時代は球数をしっかり投げて、体で覚えた。肩のスタミナがつき、これだけ投げたという自信をもって開幕を迎えられた。投げ込みの意味は、疲れたときに下半身をしっかり使うこと。その中で上(上半身)がついてきて、そのバランスの中で投げること。スピードも出るし、コントロールもリリースポイントがしっかりする。肩肘に負担がかかるというのは、上だけで投げているから。
佐々岡コーチは現役時代、チーム事情で先発→救援、あるいは救援→先発と役割が変わった。
佐々岡 リリーフでスタートして、途中から先発に変わると、つまり球数を投げてない中で先発になるとしんどい。先発から途中でリリーフというパターンもあったが、それはできる。みんなが先発とか長いイニングを投げる気持ちでいれば、リリーフはできる。
佐々岡コーチの現役時代は、キャンプ中1回は300球の投げ込みをした。
佐々岡 疲れてからの投げ込みがプラスになったが、人それぞれで正解はない。ただ、黒田(博樹)もメジャーに行く前、若いころは球数を投げ込んでいた。
それでも今キャンプ、投手陣にブルペンの球数のノルマを設定していない。
佐々岡 僕らの時代は実戦まで間があったのでブルペンで投げる量も増えた。今はすぐ実戦。まして競争意識を持たせている。重視しているのは球数より結果。ダメなら2軍に落ちる。
若い選手にどう指導しているか。
佐々岡 僕らの時代は、投げる際に(右投手の)右膝部分に土がついた。それが、リリースポイントが決まるサインだった。1回体が沈んで立ち上がるには体力がいる。今はそこまでは求めないが、やはり下半身の使い方は基本だ。
理想のチームに挙がるのが91年の広島。佐々岡、川口、北別府の先発3本柱がいて、抑えは大野だった。
佐々岡 91年は、ここぞのときはエースが中4日で130~140球投げるのがあたりまえ。今は5、6人でローテを回し、登板間隔は中5、6日。救援陣の登板は60試合、70試合と増えている。先発は、まだ投げられるという姿を見せてほしい。それが本当の姿。
200イニングを投げる投手が少なくなった。昨季セで規定投球回(143回)を超えたのは8人。最多は巨人菅野の202回で、次が広島大瀬良の182回。パで超えたのは9人で、最多は楽天則本の180回1/3。91年、プロ2年目の佐々岡は130試合制(91年広島は引き分け2試合を含み132試合)の中、リーグ最多240イニングを投げた。
佐々岡 そういうピッチャーは今はいない。ただ、143試合の中で中5、6日空けるなら、200イニグ近くになってもいい。
それでも、91年型のチームを追い求めない。
佐々岡 調整法が進歩している。先発ピッチャーは最初キャッチボールをしないとか。それで良い方向にいっているなら取り入れなきゃならない。僕らの時代は、試合前、全員がそろってアップしてキャッチボールをした。今は先発ピッチャーは後でアップしながら試合に入っていく。無駄な時間をなくしている。
91年は津田恒実さんが投げられなくなった年。7月13日時点で中日に7・5差の3位だったが、盛り返して逆転優勝した。
佐々岡 僕は本当に、津田さんにあこがれていた。真っ向勝負という投球スタイルにあこがれた。1年目(90年)は津田さんも調子が悪い中で、僕が途中からリリーフに変わった。2年目はまた(救援で)できるかなと思ったら、ああいう状況になった。津田さんが(4月14日巨人戦で)原辰徳さんに(同点打を)打たれて、その後頭痛がすると。そして入院された。病名は隠されていた(脳腫瘍だったが水頭症と発表)が、僕らは知っていた。山崎隆造さんが選手会長で、音頭をとって、選手だけで津田さんのためにがんばって1つになろうと。そこからもう1回上昇気流に乗った。
昨年まで3連覇した広島は、当時以来の黄金時代。
佐々岡 3連覇しているチームで、僕は(2軍投手コーチとして)ファームにいて、1軍では新井とクロ(黒田博樹)がいて。ふつうは野手は野手、ピッチャーはピッチャーになりがち。ピッチャーは野手に対して言いたいことを言えない立場でありながら、ピッチャーと野手は一緒だと、新井とクロがしっかりまとめた。91年も1つになったという意味では、つながりがあるかもしれない。
今季も一丸となれるか。それが、4連覇のカギと言っていいかもしれない。
佐々岡 (精神的支柱だった)新井の姿を間近で見てきた菊池涼が、まとめ役になるか。石原がそういう役割をやるか。長野、菊池保が入った中でみんなで食事して盛り上がろうと、そういうことを続けているようだ。30過ぎが少なくなった中、ここまでいい雰囲気でやっていると思う。
◆91年の広島スタメン(日本シリーズ第1戦)
監督 山本浩二
1番 正田耕三
2番 緒方孝市
3番 野村謙二郎
4番 アレン
5番 小早川毅彦
6番 西山秀二
7番 山崎隆造
8番 達川光男
9番 前田智徳
投手 佐々岡真司
◆91年広島のタイトル・表彰
佐々岡 MVP、沢村賞、最優秀防御率、最多勝利、ベストナイン
北別府 最高勝率
大野 最多セーブ
川口 最多奪三振
野村 盗塁、ベストナイン
山崎 ベストナイン
◆91年広島主な投手陣
先発 佐々岡 33試合、240イニング、13完投、5完封勝ち、17勝9敗、防御率2・44
先発 川口 29試合 205イニング、8完投、2完封勝ち、12勝8敗、防御率2・90
先発 北別府 25試合、141回1/3、3完投、1完封勝ち、11勝4敗、防御率3・38
中継ぎ 石貫 46試合、5勝1敗1セーブ、防御率1・98
中継ぎ 近藤 29試合、2勝3敗3セーブ、防御率3・14
中継ぎ 川端 28試合、5勝1敗1セーブ、防御率2・36
抑え 大野 37試合、6勝2敗26セーブ、防御率1・17
◆佐々岡真司(ささおか・しんじ)1967年(昭42)8月26日、島根県出身。NTT中国から89年ドラフト1位で広島入団。2年目は先発として17勝を挙げ、沢村賞など投手タイトルを総なめ。投手事情によって抑えも務め、06年に100勝100セーブを達成。プロ通算成績は登板570試合で138勝153敗106セーブ、防御率3・58。07年限りで現役引退し、15年から2軍投手コーチ。今季から1軍担当。右投げ右打ち。