頬を伝わる涙をぬぐい、横浜の夜空に舞った。復帰1年目の巨人原辰徳監督(61)が、球団ワーストタイの4年連続V逸したチームを再建。14年と同じ横浜スタジアムで5年ぶり37度目のセ・リーグ優勝を決めた瞬間、涙がこぼれた。

貫き続ける信念と、時代の変化に合わせた柔軟な思考。勝利と次代を担う後継者の育成を両輪に据え、令和元年に盟主の誇りを取り戻した。7年ぶりの日本一へ、クライマックス・シリーズ(CS)ファイナルステージ(10月9日開幕)で日本シリーズ進出を目指す。

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大好きな横浜に、5年前と似た心地いい秋風が吹いていた。1点を追う9回2死走者なしから追い付き、延長10回に勝ち越す劇的な優勝。原監督は、泣けて泣けて、涙が止まらなくなった。「年をとると、ちょっと涙腺が弱くなるかもしれません。全ての固定観念を捨てて、どうやったら強くなるか。勝てるか。そのことに集中して秋からやってきました」。歓喜の言葉より先に、チームを強くするための思いがあふれ出た。

どう勝つか。その1点にこだわり、激情を胸に秘めて戦い抜いた。

自宅の寝室のベッド脇には伝説のメジャーリーガー、タイ・カッブの肖像画を飾る。大リーグ最多3度の打率4割を記録しながら「メジャー史上最も嫌われた男」と称される。スパイクの歯を相手に向けた併殺崩しのスライディングを生み出し、選手、ファンへは暴行…「奇人」「変人」と呼ばれた実力者を選んだ。

「指導者は鬼にならないといけない。そこが自分には足らない。朝起きて、最初に目がいくところに飾ってあるんだ」

監督にとっての「鬼」とは「決断をすること」。徹底した実力至上主義の中、138試合で110通りの打線を組んだ。チーム全員で戦う野球が原点。「ベンチにぬくぬく座っている選手はいない」と展開を読み、自ら準備する姿勢を求める。今季1軍の試合に出場した選手は、大一番の先発に抜てきした19歳の戸郷でリーグ最多タイの60人。外国人にも特権は与えず、1、2軍の入れ替えを活発にして緊張感を生んだ。

ぶれない信念を貫きながら、時代の変化に合わせたスタイルを取り入れる。今季から首脳陣、1軍野手によるLINEグループ「Gミッション」を作成。大リーグ球団でも採用されている手法で、試合前日に先発メンバーを伝達する。

スタンプは禁止だが、時には監督からのメッセージを配信。ベテラン、若手と情報を共有することで結束を図り「メンバーを早く知ることで、コンディションも整えられる。ミッション(作戦)だな」。選手との対話も重視。投手には中6日で120球、中5日は110球と故障防止のための球数制限を設け、投打で長いシーズンを戦い抜いた。

4年前、高橋前監督に道を譲った。「若きリーダーにバトンを託した。戻る気はサラサラなかった」。思いは、巨人がかつてない危機を迎えたことで覆る。昨年10月27日、晩秋のジャイアンツ球場。還暦で監督復帰を決断した直後、初めて足を踏み入れた。若手選手の声とともに、懐かしい芝の香りが漂った。

「1つだけ不安だったことは、僕に情熱が残っているか。1歩、2歩、3歩…、4歩目ぐらいで血管の中の血がカァーっと熱くなった。まだ大丈夫だと」

選手補強、組閣と編成面の責任も背負い「全権監督」として未来の巨人の礎を築きながら、勝った。後継者候補の阿部にはベンチにいる時は監督のつもりで試合を見るように伝え、次代を担うコーチには厳しい指導を求めた。「時代はいつか滅びる。でも巨人軍は滅びるわけにはいかない」。平成元年は4番として日本一に導き、令和元年は5年連続V逸の危機を救った。

原監督にしか成し得ないミッションを完遂すると、敵地に響く大歓声の中、涙をぬぐいながら、歓喜の輪に歩みを進めた。阿部が、坂本勇が、丸、岡本が、両手を広げて待っている。ともに戦い、育てた選手の手で8度宙に押し上げられた。【前田祐輔】