日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。

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甲子園球場の外周に阪神で「永久欠番」になっているレジェンドのレリーフがある。藤村富美男、吉田義男、村山実の3人。言わずと知れた阪神を支えた猛虎たちだ。

6日(日本時間7日)に米大リーグ、デトロイト・タイガースの名外野手で、殿堂入りしているアル・ケーラインが死去した。85歳。メジャーリーグでは伝説のスーパースターだ。

ケーラインの1つ年上で親交のあった、1985年日本一監督の吉田は、海の向こうからの訃報に「またひとつ大リーグの星が消えましたな」とショックを隠せなかった。

「もう遠い昔の話ですがよく打ったし、強肩の外野手でした。懐かしいです。なにより風格がありましたわ」

ケーラインは18歳でメジャーデビューする。史上最年少の20歳で首位打者。オールスターに15度選出。通算3007安打、打率2割9分7厘、1583打点の成績を挙げた。

当時のタイガースは1962年に日米野球で来日している。甲子園での試合が雨で流れると、阪神は兵庫・西宮市の料亭「播半」で、メジャーご一行をもてなした。

翌63年春、今度は阪神がタイガースのキャンプ地フロリダ州レークランドに赴いて初の海外キャンプを行った。現役だった吉田らは「ドリル、ドリル」と基本の繰り返しをたたきこまれる。

阪神とタイガースは、93年に業務提携するまでも友好関係を保った。吉田とケーラインら選手同士が友情を温めただけでなく、球団間で情報交換を続ける間柄でもあったのだ。

タイガース一筋22年。メジャー史上通算3000安打以上、ゴールドグラブ賞10度以上受賞はロベルト・クレメンテ、ウィリー・メイズ、イチロー、そしてケーラインの4人しかいない。

ケーラインの背番号「6」は永久欠番。「ミスタータイガー」と称された男は、球団の「特別顧問」として後輩にアドバイスを送りながら、野球解説者としても古巣を見守った。

ケーラインは「タイガース一筋でキャリアを終えたことを誇りに思う」と話したという。吉田の「わたしの体にはタテジマの血が流れている」という決めぜりふとダブった。阪神本社は功労者の吉田にこそケーラインのような肩書を考えるべきだろう。いずれにしても海を越えたスターが「伝統」の2文字でつながっていたことが伝わってくる。(敬称略)

◆アル・ケーライン(Al Kaline)1934年12月19日生まれ、米メリーランド州ボルティモア出身。53年にタイガース入りし外野手としてメジャーデビュー。55年に3割4分を打ち、史上最年少20歳で首位打者を獲得。守備でも10度のゴールドグラブ賞に輝くなど攻守に活躍。68年にはワールドシリーズ制覇も経験した。タイガース一筋で74年までプレーし、愛称は「ミスタータイガー」。通算2834試合に出場し、3007安打、399本塁打、1583打点、打率2割9分7厘。背番号「6」は永久欠番。80年に野球殿堂入り。188センチ、82キロ。右投げ右打ち。