26年前の1994年5月18日、巨人槙原寛己投手が完全試合を達成した。プロ野球史上15人目で16年ぶりの快挙だった。槙原以降、昨季までの25年間、パーフェクトゲームを達成した投手はいない。

【復刻記事】

「ピッチャーやってて良かった!」。巨人槙原寛己投手(30)がプロ野球史上15人目の感激パーフェクトを達成した。対広島7回戦で、打者27人を102球で完ぺきに抑え込んだ。完全試合は、1978年(昭53)8月31日に阪急(現オリックス)の今井雄太郎がロッテ相手に達成して以来16年ぶり。巨人では、50年にプロ野球1号を記録した藤本(現中上)英雄以来、実に44年ぶり2人目。打球が速く達成が難しいといわれる人工芝球場では初の快挙だ。巨人通算7000試合は、何とも華やかなメモリアルゲームとなった。

午後8時14分。それまで、だれもが半信半疑で見守っていた歴史的瞬間が、現実になった。4万8000人の博多っ子の視線の先は、マウンド上の槙原ただひとりに注がれていた。

御船に投げた102球目。迷いはなかった。フィニッシュは145キロの直球だった。力ない、一塁へのファウルフライ。慎重な足取りの落合が、かたずをのんで見守る一塁側ベンチ横でガッチリとキャッチした。

史上15人目の完全試合。マウンド上の槙原は両手を高々と掲げて空中を飛んだ。「なんか夢の中にいるみたいでした。投手をやった人はだれでもあこがれる。ピッチャーをやっていて良かった」。サード長嶋一茂が、おどるように抱きつく。村田真が、緒方が、川相が…。出迎えた長嶋監督も飛びついて、身長差で7センチ高い槙原を抱え上げた。「監督が抱きしめてくれて、ビックリしました。本当は僕が抱きしめたかったけど、タイミングを外されちゃってね」。この期に及んで遠慮するのも、槙原らしかった。

大記録への意識は、早かった。「いつも出るはず」の、四球が3回を終わっても出ていない。序盤の大量援護で試合はワンサイド。そのうち、1球ごとにスタンドのどよめきが大きくなっていくのに気づいた。「僕自身もボルテージを上げていこう」。5回、金本の投ゴロの送球は一塁へショートバウンド。「手首が硬くなったんです。みっともなかったですね」。6回終了ごろからは、ベンチ内でひそかにカウントダウンがスタート。槙原本人もその配慮を感じていたが、「あ・うん」の仲の村田真のカツだけは耳に残っていた。「男ならやってみろ。やるといったらやるんだ」。

槙原にとっては、ゲンのいい球場でもあった。昨年11月の日米野球、今年3月のオープン戦の2試合で、通算5回を無安打無失点。「前からここで投げたかった。広いし勇気を与えてくれるんです」。そして、自分の胸に言い聞かせた。「真っすぐが走っているうちは大丈夫」。雨でノーゲームとなった15日の横浜戦では148キロをマークした。中2日の先発も好調を持続した。この日最速147キロの直球をだれよりも信頼していたのは、槙原自身だった。

これまでの野球人生では、愛知・大府高時代、参考記録のノーヒットノーランが最高。プロ13年目で大記録をつかんだが、ここまではハデな栄光と懸け離れた人生だった。1985年7月14日の阪神戦で左コ関節を骨折。89年7月29日の広島戦では、右ヒザ内側半月板を損傷した。いずれも、全治3カ月の重傷だった。それでも、槙原は野球人生をかけて、自らの体にメスを入れる決断を下した。

ケガを乗り越えてカムバックしても、タイトルは83年の新人王だけ。エースの称号は、常に後輩の斎藤、桑田らに譲ってきた。毎年のようにトレード候補に名前が挙がり、昨年オフにはFAの権利を行使。長嶋監督の熱意にほだされて、巨人残留を決めた。

その巨人の球団史上7000試合目の公式戦で、ビッグなビッグな1勝。「巨人で優勝したいんです。優勝して監督を胴上げするのが、恩返しになるでしょうから」。長嶋監督から贈られた17本のバラで残留を決めた槙原は、思いっきりキザで、そして男らしかった。

◆巨人長嶋茂雄監督 「握手しに行ったとき、槙原のやつ、顔を見たら意外とシレッとしてるんですよ。もっと興奮してもいいのにねえ。6回くらいから(完全試合の)予感はありましたよ。1球たりとも遊び球がなかった。球が低めに行っているし、それに伸びていましたからね。槙原の野球人生の中で忘れられない日になることでしょう。

<敗れた広島は>

三村監督はバスへ向かいながら「たまりませんわ」。足取りも口調も重かった。「槙原に尽きる。切れが今までになく良かった。特にスライダーが抜群で、フォークも落ちていた」と仕方なさそうに振り返った。バントなど揺さぶりも考えたそうだが、結局はやらずじまいで「手も足も出なかった」。屈辱感をかみしめるナインを代表するように野村は「槙原は良かったんだけど認めたくない。情けない。この悔しさをバネにしたい」と話していた。

【当日のスタメン】

<広島>

1(二)正田

2(中)緒方

3(遊)野村

4(一)メディーナ

5(右)音

6(左)金本

7(三)高

8(捕)西山

9(投)川口

<巨人>

1(二)緒方

2(遊)川相

3(右)松井

4(一)落合

5(左)コトー

6(中)西岡

7(捕)村田真

8(三)長嶋

9(投)槙原

<中継した日本テレビは>

完全試合達成と同時に視聴者からの問い合わせの電話(十数本)が相次いだ。ストレートな感激より、「完全試合とノーヒットノーランの違いを教えてほしい」「完全試合をやった歴代の投手はだれか」と16年ぶりの偉業の意義を問い合わせる内容が多かった。スポーツ局では福岡ドームにスタッフを送り出しており、また深夜のVTR放送の「ヴェルディ川崎対サンフレッチェ広島」戦(等々力)の中継もあったため、留守番部隊数人が電話に慌ただしく応対した。

▼槙原がプロ野球史上15人目の完全試合を達成した。完全試合は1978年(昭53)8月31日に今井雄太郎(阪急)が対ロッテ戦で記録して以来16年ぶりで、セ・リーグでは68年9月14日の外木場義郎(広島)以来、26年ぶり8人目。また、巨人の投手としては完全試合第1号の藤本英雄が50年の対西日本戦でマークして以来、44年ぶり2人目の快挙となった。槙原は今年の8月で31歳を迎えるが、過去完全試合を行った14投手のうち13人が20代で記録。30代で達成したのは50年藤本(32歳1カ月)の1人だけで、30歳9カ月の槙原はこれに次ぐ年長記録だ。なお、ノーヒットノーランは92年湯舟(阪神)以来で、通算70度目(59人目)となった。

<完全試合を達成した投手>

藤本英雄(巨人)50・6・28=対西日本

武智文雄(近鉄)55・6・19=対大映

宮地惟友(国鉄)56・9・19=対広島

金田正一(国鉄)57・8・21=対中日

西村貞朗(西鉄)58・7・19=対東映

島田源太郎(大洋)60・8・11=対阪神

森滝義巳(国鉄)61・6・20=対中日

佐々木吉郎(大洋)66・5・1=対広島

田中 勉(西鉄)66・5・12=対南海

外木場義郎(広島)68・9・14=対大洋

佐々木宏一郎(近鉄)70・10・6=対南海

高橋善正(東映)71・8・21=対西鉄

八木沢荘六(ロッテ)73・10・10=対太平洋

今井雄太郎(阪急)78・8・31=対ロッテ

槙原寛己(巨人)94・5・18=対広島

※記録、表記などは当時のもの