ひたむきに腕を振る高卒新人のオリックス宮城大弥投手に思いを寄せる人がいた。「ルーキーとは思えない。落ち着いています。力強い球を投げる。この前も走者がいないときは完璧に抑えていましたし、じょじょに力を発揮していますよね」。そう話すのは沖縄・興南の広報室で働く島袋洋奨さんだ。10年に甲子園で春夏連覇に導いた、トルネード左腕のエースである。

10月18日の西武戦(メットライフドーム)でプロ初勝利を目指した宮城は興南の後輩だが「接点はまったくないんです」と明かす。それでも、3失点後の3回から、4イニング連続3者凡退に抑えた姿に目を細めた。「実戦で結果を出せる投手だと思います」。西武の4番山川には、内角低めスライダーで空振り三振。白星こそ逃したが、浮足立たず、6回を投げていた。

島袋さんは宮城と会ったことも話したこともない。だが、宮城にとっては「特別な人」だ。西武戦も少し上体をひねるように投げていた。幼い頃、島袋さんの投げ方をマネした名残だった。かつて宮城は「好きな投げ方で自然と身につきました」と明かした。背中を追う日々だった。同じサウスポーで、宜野湾市の志真志小、嘉数中に通ったのも同じ。小学生の時、興南で全国制覇した島袋さんは憧れだ。同じ高校に進んだ。

島袋さんは中大からソフトバンクへ。投球を試行錯誤し、左肘手術や育成契約などをへて、昨季限りで現役を引退した。1軍では1年目の15年に2試合登板。「緊張しすぎて試合内容とか、ほとんど頭から飛んでいて。映像を見て思い出したくらいです。プロは誰でも経験できる場所じゃないので、僕にとっては幸せな時間でした。難しさも痛感した場所です」。プロ5年間で白星に届かなかった。自らと重ね合わせ、堂々たる宮城がまばゆく映った。

「高卒1年目で体力づくりにも目がいくところ。でも、彼はすでに勝負できる真っすぐを持っています」

28歳の島袋さんは体育科の教員免許取得を目指し、指導者を志す。宮城がデビューした翌日の10月5日。学校の職員会議で話題に出た。先生たちが「素晴らしかったね」と言い合っていた。プロで奮闘する宮城に伝えたいことは? そう問われた島袋さんは「どういうことでもいいですか?」と一呼吸置いて「学校の先生たち、みんなが応援しているよってね」と言った。

宮城を直接、知らない。それでも、おぼろげながら像を結ぶ。「先生が言うんです。『応援したくなる』って。投げるのをいつか、いつかとずっと待っていました」。故郷からのまなざしがある。沖縄の左腕の系譜は、確かに受け継がれている。【酒井俊作】