ENEOS・大久保秀昭監督(51)が川島勝司氏(77)の野球殿堂入りを喜んだ。「去年、殿堂入りした(慶大恩師)前田さんとともに、指導者として影響を受けている1人です」。96年アトランタオリンピック(五輪)は、主力として川島監督を支えた。

忘れられない言葉がある。銀メダルで終えた後「予選で負けていたら、日本には帰れないと思った」と漏らされた。1勝3敗で後がなくなったところから、3連勝で予選突破。「そこまでプレッシャーを感じていたなんて、全く感じさせなかった。選手が力を発揮できる雰囲気をつくってくれた。監督と選手ではプレッシャーが違うと、今、監督になって分かります」。

当時の五輪代表は4年計画。バルセロナが終わると「アトランタの捕手は大久保だ」と使い続けてくれた。「応えたい一心」だった。アジア予選後には、プロ入りを選んだ主力数人が代表を離れた。逆風でも、川島監督は社会人1年目の福留(現中日)を加え、選手を信じた采配で、ベテランもいるチームをまとめあげた。銅のバルセロナに続くメダル確保で、日本野球の地位を守った。

毎年1月の「アトランタ会」で思い出話に花を咲かせる。今年は開催できないが、大久保監督は「コロナが終わったら」。お祝いの会になる。【古川真弥】