85年の阪神日本一はニッカンの大スクープから始まった-。昭和から平成にかけて、プロ野球、特に阪神をはじめパ・リーグ3球団を含めた在阪球団は激震続きの時代だった。当時、ニッカンの若手から中堅、そしてベテラン記者として活躍し、後に大阪・和泉市長を務めた経歴を持つ井坂善行氏(66)が、独自の人脈を駆使した取材ノートから、「スクープの舞台裏」に迫ります。第1回目は1984年(昭59)オフ、ニッカンの大スクープとなった吉田義男氏の阪神監督電撃復帰です。(肩書はすべて当時のもの)

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忘れもしない。84年10月23日、大阪・梅田にあった「ホテル阪神」で、阪神の監督に吉田義男氏が電撃復帰すると発表された。その日の朝、「ブルーのニッカン」を売り物にしていた日刊スポーツの1面は、吉田氏の阪神監督就任をブルーの見出しで伝えていた。

「あー、よかった。誤報じゃなかった」

多くの報道陣の片隅で胸をなで下ろしたことを、今もはっきりと覚えている。

その前夜、社内では大先輩のトラ番キャップとデスクや部長だけでなく、編集局の幹部も集まって断続的に打ち合わせが行われていた。当時、トラ番で最も若かった私は情報の一部を報告するぐらいで、会議の詳細までは知らされていなかった。最終的に「吉田氏阪神監督」のニュース報道が決まったのは、締め切り時間ギリギリだった。

なぜ、スクープしたニッカンのトラ番の一員だった私が胸をなで下ろしたのか。それは、正式に監督就任が発表される当日の朝、吉田氏と決めつけた記事はニッカンだけで、ほとんどがもう一人の候補だった村山実氏との二者択一、あるいは村山氏有力という報道もあったからだ。まだ新米トラ番だった私は自社の特ダネに自信を持てるような立場ではなく、それどころか「誤報だったらどうするんだろう」という不安な思いで会見場にいたのだった。

それにしても、この時の阪神監督交代劇を目の当たりにして、「これが聞きしに勝る阪神タイガースの体質なのか」と変な納得をしたことも懐かしい。

というのも、秋風が吹き始めた9月14日、5年契約の3年目だった安藤監督の4年目の留任が発表されていた。本社の役員会で了承され、小津球団社長自ら「周囲(マスコミ)が騒がしいので、確認の意味も含めて発表させていただく」という留任発表だった。

普通なら、これで「ジ・エンド」である。ところが、逆にこれが次期監督問題をエスカレートさせていくのだから、阪神らしいと言えば阪神らしい。

10月に入って本塁打王を争っていた掛布-宇野の10打席連続の四球合戦が、当時の田中オーナーの逆鱗(げきりん)に触れた、と伝わってきた。安藤監督は10月5日の甲子園での最終戦で「辞めろコール」の中、静かにグラウンドを去った。そのまま小津球団社長に辞意を伝え、3日後の電鉄本社への報告の席上でも、オーナーに意思を伝えた。すべては、極秘事項のはずなのに、それらしき情報がジワジワと漏れてくるのだから、ますます混沌(こんとん)としてくる。

安藤監督の辞意が表面化すると、阪神は西本幸雄氏を口説こうとするが、これはポーズでしかなかった。当時の久万オーナー代行が西本氏から「吉田君が適任では」と推薦され、方向性は定まった。

それでも、最終の本社役員会は紛糾した。吉田か、村山か。意見が真っ二つに分かれる中、田中オーナーが重い口を開いた。

「私はオーナーの職を辞す。だから、監督問題は一任して欲しい。次の監督は吉田君だ。そして、小津君、君も辞めてくれ。人心一新だ」

職を賭す覚悟のオーナーのひと言ですべてが決まった。名物球団社長だった小津氏も辞任し、久万オーナー、中埜球団社長の新体制で、阪神は85年の日本一へと動きだしたのである。

◆84年掛布雅之(阪神)と宇野勝(中日)の敬遠合戦 本塁打争いをしていた両者が、ともに37本で迎えた10月3、5日の直接対決2試合で、2人とも40球すべてボールの10打席連続四球。宇野は3日の7回、2死満塁の場面でも歩かされた。10打席連続四球は現在でもセ・リーグ記録として残る。当時の下田コミッショナーが「邪道でしょう」と遺憾の意を表明し、ファンの間でも論議を呼んだ。結局2人は37本塁打でタイトルを分け合った。

◆井坂善行(いさか・よしゆき)1955年(昭30)2月22日生まれ。PL学園(硬式野球部)、追手門学院大を経て、77年日刊スポーツ新聞社入社。阪急、阪神、近鉄、パ・リーグキャップ、遊軍記者を担当後、プロ野球デスク。阪神の日本一、近鉄の10・19、南海と阪急の身売りなど、在阪球団の激動期に第一線記者として活躍した。92年大阪・和泉市議選出馬のため退社。市議在任中は市議会議長、近畿市議会議長会会長などを歴任し、05年和泉市長に初当選、1期4年務めた。現在は不動産、経営コンサルタント業。PL学園硬式野球部OB会幹事。

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