巨人大竹寛投手(38)が25日、都内で引退会見に出席した。ラーメン大好きでおなじみのベテラン右腕は、報道陣に101杯のカップ麺を用意。会見の開始から終了まで、音声スタッフに紛れた同僚の畠が、記念撮影時にサプライズで登場するなど、笑顔の絶えない明るい引退会見になった。

プロ20年目の今季は度重なる負傷の影響もあり、1軍登板はわずか4試合にとどまった。リーグ最終戦となった前日24日のヤクルト戦(神宮)で、8回に引退登板。サンタナへ5球全球シュートを投げ込み、バットを粉砕する遊ゴロに打ち取り、マウンドに別れを告げた。

カップ麺「101」の数字の意味とは? 宝刀シュートを身につけたきっかけとは? 爆笑会見の主な一問一答は以下の通り。

-ごあいさつ

今日、このような会見の機会を与えてくださいました、巨人の球団関係者の皆様、ありがとうございました。またお忙しい中、会場に来てくださったメディアのみなさま本当にありがとうございます。今年で20年やっていたプロ野球生活を終えることになりました。いろいろな方に支えて頂いて今の僕があると思ってます。なによりファンの皆様、いつも熱い声援をいただき、それが力になり、プレーすることが出来ました。本当にありがとうございました。本日はどうぞよろしくお願いします。

-引退登板を振り返って

投げられるか投げられないか決まっていなかった。それがチームメート、監督、コーチスタッフの頑張りでチャンスを頂いたことがうれしかった。こういう風にチャンスをもらえるんだなとうれしい気持ちからスタートしました。そしてシュートですね。サンタナ選手のバットが折れた瞬間は、もう多分ずっと覚えているんじゃないでしょうか。素晴らしい1日になりました。

-一夜明け、どういう気持ちが

まずはホッとしているのが一番で、実感は湧いているようで湧いてない気持ちですね。

-引退を決めた要因

今年、膝のケガですね。僕もリハビリを頑張ったんですけども、トレーナーの方たちに本当に懸命に体を見ていただいて、頑張ったんですけど、10月に入ってやっぱり良くならないと。そこで決断しました。

-誰にまずは引退報告を

妻ですね。「今年で引退するよ」と一番に伝えました。

-どんな反応が

「本当にお疲れさま」と言葉をもらって。「子どもたちに自分の口から説明してね」と言われて、子どもたち、小さいんですけど3人集めて、「パパ辞めるよ」と伝えました

-子どもたちの反応は

長男は小学校2年なので、寂しそうな顔をしながら「分かった」という感じで。次男は分かったような分かっていないような。「辞めるの」みたいな感じで。(一番下の)2歳はなんとなく聞いてました。

-現役20年続けられた要因

大竹 まずは自分事ですけど、野球をずっとやっていたい、勝ちたい。そういう気持ちは常に持ってました。それがまずは続いた要因なのかなと。ただ、野球生活いいことばかりではない。その中で悪いとき、ケガしたときに支えてくれた人が常にいた。そういう方々がたくさん居たから、自分も頑張れたのかなと思います。

-入団時、広島の苑田スカウトから支えになる言葉が

いろいろあるんですけど、当時浦和学院の森監督に「自分に何が良かったのか聞け」と言われて、言葉通り聞いたら「ムキになって打者に向かっていく姿が良い」と言われました。プロに入ってそれが良いときもあれば悪い風に作用したこともあるんですけど、そういう風に言われました。

-ケガを乗り越えた広島時代を振り返って

振り返れば語り尽くせないくらいの思い出なんですけど。まずは高校卒業して、右も左もわからない、子どもだったと思うんですけど、生意気だったと思うんですけど、いろいろ指導頂いて。育てて頂いたなと。ケガもありましたけど、決して辛い日々ではなく、周りには一緒にリハビリしている選手もいて、楽しい思い出というか、野球は良いときも悪いときもありましたけど、広島の思い出は温かい思い出が多いです。

-シュートという球種への思い入れ

間違いなく、シュートがあって野球を長く出来たと思います。シュートをちゃんと使うようになった分岐点は黒田さんがいたから。大先輩がシュートを使っていて、見よう見まねで右打者の内角に思い切って投げたのが始まりです。自分を助けてくれたボールだと思います。

-巨人での思い出

まず、FA宣言のとき、自分の中では結構悩みました。広島から離れることもそうですし、巨人への憧れはあったけど、あまりにも自分の中で大きい憧れだったので、果たしてちゃんと野球できるのかなと不安だったんですけど。自分にとってはとても大きな挑戦だったけど、今思えば挑戦して良かったと思いますし。入ってからは、全て自分が決断したことだから受け入れてやっていくという気持ちでやってきて。ただ、イメージ以上の重圧ももちろんありました。ダメになりそうなときもあったけど、リーグ優勝を初めて経験させてもらって、優勝がこれほどまでにうれしいものなのか、ビールかけがこんなに楽しいものなのかというのを経験させて頂いた。挑戦してよかったなと。仲間に恵まれて。投手陣で言えば、内海さんを筆頭にみんなが迎え入れてくれて。本当に良かったと思います。

-チームではオアシスという存在と。一方で短気という話も

僕は短気だと思いますね自分では(笑い)。ただ使い分けで、ガって入るときは、打者の時にしようという意識で投げました。広島時代の若いときにはそれができなくて、感情剥き出しにして、よく怒られたりした。ただ黒田さんや新井さん、野村謙二郎さん、いろいろな方に指導を受けてちょっとずつ丸くなって。これじゃダメだなと言う。巨人に来る頃には少しずつできるようになって。自分がダメだったので、若い選手の気持ちがわかるといったら大げさですけど、若いときはできなくて普通なのかなと。僕は出来なかったので、そういう接し方が後輩には良かったのかなと勝手に思ってます。

-若手投手にメッセージ

才能があふれる選手がいっぱいいますね。今1軍にいる選手はもちろん、1人1人名前を挙げたらキリがないんですけど。僕は2軍生活も3軍・リハビリも多かったので楽しみな選手がいっぱいいますね。今年に限れば堀田賢慎はとてつもないボールを投げますし。山崎伊織も伊藤(優輔)くんも太田龍も、いっぱいいますね。井上もランニングがいいので。そういう人たちは本当に頑張って、これからのジャイアンツを絶対に支えて欲しいなと。活躍している姿を見たいですね。

-答えられる範囲で、将来へのビジョン

正直、これと言って決まってはいないが、20年間野球界でお世話になりましたので、来年、これからもこの世界でお世話になって、何かしら貢献できたら、力になれたらと思ってます。

-現役を終えて楽しみにしていること

ラーメンですね(笑い)。現役生活から食べてはいたんですけど(笑い)。やりたいことってなかったんだなというのが正直なところで。野球とったら休み前に酒飲んで、ラーメン食べて寝てくらいしかやってなかったので。野球だったんだなと。なにか楽しみを見つけて。家族サービスもそうですけど。探す時間も必要かなと。勉強したいと思います。

-分岐点などは

まず、肩のけがですかね。広島時代のあの肩のケガから、当たり前に出来ていたことが。150キロを投げることが簡単だと思っていたので。それが出来なくなった。投げることが難しくなった。それが1つの分岐点ですね。そこから今まで当たり前だと思ってたことが、野球もそうですけど、支えてくれた人も昨年以上に野球のことも考えるようになりましたし。少しそこで野球観が変わったかなと思います。FA宣言も大きい分岐点だったと思います。

-印象に残る1試合

質問されるなと思ってずっと考えていて(笑い)。やっぱり初勝利の時ですね。(広島)市民球場で。ヤクルト戦ですね。山本浩二監督と写真をとった。その思い出です。

-野球とは

全てだったと思いますね。野球のことばかり考えていたと思いますし、野球があるから他があると思ったくらい。成績は振るわなかったですけど、それくらいのことを思ってました。

-自分自身にどんな言葉をかけたい

「いろいろな人に支えられたね」ということと、「これだけ食べてこの体形で20年よくやったね。もう少し健康に気を使った方が良かったね」ですかね(笑い)。

-ケガで苦しんでも復活してきた大竹選手の野球人生。同じような境遇の後輩に言うことがあるとすれば

ダメなときって1回落ち込むんですけど、そのときに僕が考えたことって「実際自分はこんなもんなんだ」と自分で自分を受け入れること。じゃあここからどうするか。その繰り返しで、諦めるのか、やるのか。自分に問いただしたときに、「いや、こんなところで諦めたくない。勝てない勝てない、打たれる打たれる」と思っても、「じゃあちょっとでも抑えてやろう」という気持ちでやってきました。ダメだダメだじゃなくて、爪痕でも残す。まだ自分でもできるんじゃないかと。1回自分を受け入れて。理想に行けば良いですけど、理想はなかなか難しい。でも少しでも出来ることをやってやるという感じでいると気持ちも安定してきて、潮目も変わるんじゃないかなと思ってます。

-シュートを覚えようと思ったきっかけ

実はそれまで左打者の外にはツーシーム的な握りで投げていた。それは打者にも死球になりにくくストレートに変化をつけるだけ。それを使っていたんですけど、壁にぶち当たりまして。勝てなくて、にっちもさっちもいかなくなったときに、シュート系のボールを右打者の内角に投げないと飯を食っていけないんじゃないかと。そういう極限の状態でした。だから使う選択に至った。それを怖がって投げずに終わるか、挑戦してやってみるか。

-黒田投手は先発で球数を減らすためと。大竹投手は活路を見いだすため

使うきっかけはそうなんですけど、使いはじめてからは1球で仕留める、球数少なくゲームメークできるのが一番良いなと。カウント球でも勝負球でも。

-原監督への思い

まず、先発で成績を残せなかったのが申し訳なく思っている。その中で正直戦力外でもしょうがなかった時期に、まだやれると残していただき、自分でも最後の最後まで活路を見いだしてもらったと。僕もそれに答えることが出来て良かったなと思います。月並みですけど、感謝しかないです。

-大竹を支えた座右の銘や言葉は

座右の銘で言うと、「勝っておごらず、負けて腐らず」ですね。ずっと座右の銘を持っていなかったんですけど、ピンとこなくて。でも自分に合ってるなと。勝つけど負けるし、負ける負けると思っていたらまた勝つし。その都度勝ったらうれしい、負けたら悔しいでずっとやってきたんですけど。成績も102勝101敗でトントンなんですけど、最後の方は勝ったら勝った。負けたら負けた。反省してまたやる。僕にぴったりな言葉だなと思って。それを大事にしてます。

-誰かからもらった言葉なのか

誰かからもらったことばではないです。どこかで見て、そのときにピンときました。

-報道陣へのラーメン。用意した思いは

まずはジャイアンツに非常にできる広報阿南という男がおりまして、阿南くんが「何か報道陣の方にできないですかね」と相談してくれて「僕だったらラーメンなんじゃないか」と。「でもラーメンだと伸びちゃうし、迷惑になってしまうので、カップ麺、申し訳ないですけど」と。それはいいねということで。僕がちょうど101敗なので、101杯分あればちょうどいいかなと。チョイスなんですけど、(会場笑い)家系ラーメンがいいかなとか、二郎系がいいかなというところを阿南くんと話して。みなさん持って帰ってください。よろしくお願いします。

-引退して、最初に食べるファーストラーメンは

今まで散々お世話になりましたので、家系ラーメン。面と向き合って、ラーメンだけに(笑い)。しっかり味わいたいと思います。

-膝のケガは右膝?

はい。右膝ですね。

-どういう状態まで行ったのか

春先に少し異変を感じてまして、ランニングの量を抑えたりと、うまくトレーニングコーチとやっていたんですけど、右足、右膝をかばうことで左太ももも痛くなりまして、それがまず春先の登録抹消のときで。そこから左膝が良くなっていって、2軍で投げるようになったんですけど、また右膝を発症しました。

-(音声スタッフに紛れている)畠へメッセージ

彼、今7回、8回、どこでも投げているたくましい男なんですけども、僕が去年投げていたポジションで頑張っているなと思うと、バトンを託してもいいなと思いましたし。キャッチボールでもこういうボール投げられないなって真っすぐを投げる。トレーニングに関して勉強していますし、ちゃんとしっかりやるタイプなんです。まだまだ可能性あるしピッチングも見ているとサマになってきている。まだ畠も先発もできると思っているので、もう1回先発もできるんだ、何でもできるんだという気持ちで羽ばたいてもらいたい。