守護神が、グッと右拳を握った。

1点リードの10回に登板したオリックス平野佳寿投手(38)が1回をぴしゃり。リーグトップの7セーブ目を挙げ、日本選手6人目の200セーブを日米通算で達成した。

「いつもと一緒の準備でした。支えてくれる周りの人に感謝したい。絶対、自分の力だけでは達成できなかった。本当に我慢強く使ってくれた監督、コーチ、守ってくれるチームメートのおかげです」

準備の鬼だ。試合前練習ではチューブを使って、右肘のストレッチを欠かさない。お決まりのルーティンも崩さない。投球練習を終え、一塁手からボールを受け取ると、四股を踏み、両肩を入れる。京産大時代に勝村法彦監督と一緒に作ったルーティンで「良い投手は、必ず姿勢を保っている。両足でしっかり地面をつかんで立っている。バックスクリーンに目線を置いて、まずは真っすぐ立つことからスタートしよう」と助言を受けたものだ。20歳で始めたしぐさは、日米通算756試合のマウンドで1度も欠かしたことがない。

テンポの良い投球でアルカンタラ、万波、近藤を3人斬り。最後は強く拳を握った。名球会入りの条件は日米通算250セーブ。視界にも入るが「先を見ずに、1歩ずつ。少しだけ前を見てやっていきたい。その積み重ね。これからもそう」とスタイルは変えない。

これで借金1。中嶋監督は「信頼して送り出している。良い仕事をしてくれています」とたたえた。連覇&日本一へ、ベテラン守護神がトリデを守る。【真柴健】

▼オリックス平野佳が日本人投手6人目の200セーブを日米通算で達成した。初セーブは10年7月28日の日本ハム戦(スカイマーク)。通算200セーブ以上の過去5投手のうち、中日の岩瀬のみが日本だけで407セーブ。他の4人は日本で200セーブに到達した後で渡米しており、日本-メジャー-日本と移っての200セーブは平野佳が初だ。

 

◆平野佳寿(ひらの・よしひさ)1984年(昭59)3月8日生まれ、京都府出身。鳥羽-京産大を経て、05年大学・社会人ドラフト希望枠でオリックス入団。5年目の10年から救援に本格転向。13年に通算100ホールドを達成。14年の40セーブは当時パ・リーグ新記録だった。16年に通算100セーブ達成。18年ダイヤモンドバックスにFA移籍。20年マリナーズを経て、21年オリックス復帰。29セーブを挙げ、優勝に貢献した。186センチ、88キロ。右投げ右打ち。

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