熱戦の末、オリックスが26年ぶりの日本一達成だ。それと同様、あるいはそれ以上にヤクルトに神宮で雪辱したことが感慨深い。ヤクルト相手は昨年もそうだが神宮で敗れたのは95年だ。同年1月17日の阪神・淡路大震災から復興の象徴としてオリックス・ブルーウェーブは奮闘。「がんばろう神戸」のワッペンを袖につけ、リーグ優勝を果たした。

「次は日本一!」。そう言ってイチローを筆頭に日本シリーズに臨んだもののグリーンスタジアム神戸(当時)で連敗。乗り込んだ神宮でまず負け、4戦目こそ勝ったが5戦目で力尽きた。知将・野村克也のヤクルトにはね返されたのだ。

「あのときはノムさんと古田(敦也)にやられたよな。徹底的にイチローをマークされてね」。当時の球団代表・井箟重慶に電話すると懐かしそうに話した。オリックス指揮官・仰木彬と野村にはパ・リーグ時代からの因縁があり「もう1つのON対決」とも呼ばれたものだ。

ヤクルトに負けた翌朝。当時、浅草にあったオリックス宿舎のロビーに早朝、出向いた。始発の新幹線で神戸に戻るというイチローの取材をするためだ。「神戸に帰れなくて、応援していただいた方々に申し訳ない」。当時のチームの意味を強く感じていたイチローは帽子のつばで顔を隠し、悔しそうな表情だった。

「中嶋監督がよくやったね。確かに吉田正尚はいるけれど、そんなに抜きんでた選手が多いわけじゃない。選手としては当時の方が面白いメンバーだったんじゃない?」。井箟はそんな話もした。確かに当時は面白かったと思う。イチロー、田口壮らの若手だけでなくベテラン、中堅も在籍。「仰木マジック」を批判して、ふてくされる選手も一部いた。もちろん、それもプロとして、ある意味正しいのかもしれない。

当時も、そして今も知る球団関係者も似た話をした。「当時は職人がいましたね。だから監督の采配に反抗する感じもあった。いまは若い選手ばかり。そんなムードはありません。それこそ一丸ですよ。もっと言えばいまは職人を育てている時期なんでしょうね」。

「ナカジマジック」の異名を取った指揮官・中嶋聡。そのもとで熟成しつつある選手たち。「バファローズ」と名を変えたオリックスの黄金時代が再びやってきたのかもしれない。26年ぶり日本一の栄冠。まずは素直に祝福したい。(敬称略)