マサカリ投法で知られる、プロ野球元ロッテ投手として活躍した村田兆治さん(72)が11日に亡くなった。

チームメートだった西村徳文氏(62)も、突然の訃報に驚いた。

「ニュースで知り驚いています。『オリオンズ』のユニホーム姿の映像が流れると切なくて…。

村田さんには本当に良くしていただき、私がレギュラーになれたのも村田さんの厳しい教えがあったからだと思っています。82年に入団した年に、村田さんが故障され、84年にカムバックされた時に後ろで守らせてもらいました。

ご自身がめちゃくちゃ練習する方だったので、練習しない選手には厳しくて、エラーをすると『しっかり守れ』と怒鳴っていました。私は、自分で言うのも何ですが、練習だけは一生懸命やっていたので、私がセカンドでエラーした時には『お前はいいんだ。声を出してしっかり盛り上げてくれ』と接してくれました。そういう言葉ひとつひとつがありがたくて、より練習にも身が入りました。

食にも厳しい方でした。遠征中に軽食やお菓子を買って、夜宿舎に帰ってくると、『食材や油などきちんとしたものを選んで食べろ』と怒られました。一流選手の体作りや練習に対する姿勢を間近で勉強させていただきました。僕にはそれが良かったんだと思います。そういう方がいなかったら甘えていたでしょう。

私がロッテの監督を終わってから3年間は、離島での野球教室に参加させていただきました。子供たちにも礼儀や大きな声でのあいさつなど、野球だけでなく教育にも一生懸命に取り組まれていました。20年にオリックスの監督を辞める時には『ご苦労さん。また野球教室で手伝ってもらうから頼むな』と言っていただいたのが最後でした。お世話になった先輩なので、本当にショックです」(82~97年ロッテ野手、98~12年ロッテ監督、16~20年オリックス監督=西村徳文)