3月のWBCを戦う侍ジャパンのメンバー12人が先行発表された6日、都内のホテルで行われた侍ジャパン栗山英樹監督(61)の会見にエンゼルス大谷翔平投手(28)がサプライズ登場した。背番号は「16」に決定。日本ハム時代は「11」、エンゼルスでは「17」だが、なぜ侍ジャパンでは16番なのか-。謎をひもとくキーワードは「パイオニア」。大谷と背番号16には、不思議な縁があった。

この日の会見で大谷は「背番号は自分自身であまり大きなこだわりはないんですけど、前回(17年WBCに)出られなかったのが一番かなと。それまではずっとジャパンでは16番を付けてきたので。自分にとって日本代表は16番かなという印象が強いことが一番かなと思います。まあ(背番号を選ぶのは)先輩優先みたいな…フフフッ(笑い)。野球界あるあるですけど、そういうところがあるので。僕は背番号にこだわりはないですし、偉大な先輩方にいい番号を付けていただけたらなという感じですかね」と回答したが、実は9年前に理由を明かしている。

初めて侍ジャパンで背番号16を披露したのは14年11月。日本で開催された日米野球の時だった。当時20歳の大谷は16番のイメージを問われると、ニヤリとしながら「野茂さんと言ってほしいんですか? いや、でも野茂さんしかいないです」。尊敬する日本人大リーガーの先駆者で、ドジャースで同番号を背負っていた野茂英雄氏の名前を挙げた。

この日の会見でも話していたように“野球界あるある”で背番号16との縁はつながった。当時は阪神藤浪とともにチーム最年少だった20歳の大谷は、最後に背番号を選んだ。日本ハムで背負っていた11番は、日米野球の日本代表発表時にメンバー入りしていた西武岸が選択するという感じで、先輩らがゆかりのある番号を選んでいく中で不思議と16番は最後まで残り、即決で選んだ。その状況を振り返った20歳の大谷は「必然でした。『16を選んでくれ』というような。それしかないなと」と、野球の神様に導かれるように16番を背負った。

トルネード投法で全米を熱狂させ、後の多くの日本人選手にメジャーへの道を切り開いた野茂氏にあこがれてきた大谷もまた、投打二刀流でメジャーMVPに輝くなど新時代を切り開いた。大谷が必然的に選んだ背番号16には、不屈のパイオニア精神が詰まっている。【木下大輔】

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