投手として阪神、西武、広島でプレーした古沢憲司(ふるさわ・けんじ)氏が死去していたことが25日までに分かった。75歳だった。

古沢氏は愛媛県出身で、1964年(昭39)に新居浜東を中退して阪神にテスト入団。同年7月25日の国鉄戦で救援登板し、16歳3カ月の戦後最年少で1軍デビューした。同9月30日の中日戦(甲子園)では、史上最年少記録の16歳5カ月で先発登板を果たしている。

71年に12勝、74年は4完封を含む自己最多の15勝を挙げた。78年オフに、新監督となったブレイザーが主砲の田淵幸一の放出を決断。古沢は田淵とともに西武・竹之内雅史、真弓明信、若菜嘉晴、竹田和史との2対4の大型トレードで西武に移籍した。82年シーズン途中にトレードで広島へ移籍し、84年には救援投手としてリーグ優勝に貢献。85年限りで現役を引退した。通算543試合に登板し87勝をマークした。オールスターには74、77年の2度出場している。

引退後は解説者を経て93年に広島のコーチに就任。96年から00年までは阪神で2軍投手コーチを務め、井川慶や藤川球児らを育てた。01年以降は広島に復帰し、ドミニカ共和国のカープアカデミーで投手陣の指導に当たり、13年に広島1軍投手コーチに就任。14年にカープアカデミー担当コーチに復帰した。

◆古沢憲司(ふるさわ・けんじ)1948年(昭23)3月31日生まれ、愛媛県出身。新居浜東を中退し、64年に阪神入団。同年デビュー。17歳2カ月だった65年6月30日の大洋戦で初完封でプロ初勝利。78年オフに西武、82年途中に広島移籍。85年に引退した。通算543試合に登板し87勝115敗、25セーブ、防御率3・72。181センチ、73キロ、右投げ右打ち。