楽しいことに年齢なんて関係ない。10日、東京・府中市の明大野球部グラウンドが開放された。子どもたちが駆け回る。

同じように大学生も駆け回る。東京6大学野球連盟の全大学が9日、10日にかけて同じ取り組みを行った。社会連携アクション「野球部グランドを子どもたちの遊び場へ」だ。

明大では3年生マネジャーたちが9月頃から企画を練り始めた。「遊び場開放の趣旨が、野球教室ではなく『地域の公園としてグラウンドを開放する』だったので、子どもたちがどういう遊びが好きかを話し合って」と岸上さくら主務(3年)。この日もマネジャー主体で運営した。

子どもたちが笑う。大学生たちも笑う。猛練習に励む日々。いつもとは違う表情もある。マネジャーたちも変化に気付く。「普段は抜けている感じも…」という証言もある横山陽樹捕手(3年)もその1人だ。

「けっこう楽しいっすね。普段は野球しかないんで。こういう別の活気ある場が、なんかいつもと違う楽しさがあって」

マネジャーたちからはサッカーブースを3人で任された。思ったより参加する子どもが多く、試合形式にした。名札に書いてある名前を覚え、呼んで、少しずつ距離を詰めていく。

「小さい頃、自分もこんな感じで遊んでたのかな~って。こういうの、得意かもしれないと思いました。子ども、別に嫌いじゃないですし、野球教室とかも楽しい経験になるので」

栃木・宇都宮市で生まれ育った。

「公園で缶蹴りとか。ドロケイとかやってました。10人くらいで。学校終わって集まって。うん、たぶん缶蹴りを一番やりましたね。なんか分かんないですけど、楽しかったっすね」

10年ちょっと前の“自分たち”とふれあいながら、最終学年への意気込みを新たにした1日。

「今もキャッチャー、やってます」

作新学院(栃木)2年時に高校日本代表に選ばれ、韓国で2週間に及ぶU18W杯を戦った。捕手、外野、代打と何でもやった。

当時、春の練習試合では1学年上の大船渡・佐々木朗希投手(当時3年)から初打席で右中間三塁打を放った逸材だ。

「スリーベース、打ちました。一応打ちました。スライダーしか来なかったです。まっすぐ張り張りで行ったのに、まっすぐ投げてもらえなかったんで」

笑って懐かしむ対決から、もう5年近くになる。「今は一生懸命、春に向かって」。少し引き締めた顔をまた緩め、子どもたちの輪に戻った。【金子真仁】