<中日5-3日本ハム>◇16日◇ナゴヤドーム

 中日の岩瀬仁紀投手(35)が史上3人目の通算250セーブを挙げた。日本ハム戦(ナゴヤドーム)で2点リードの9回から登板し、無失点に抑えて今季16セーブ目をマークした。記録に王手をかけて1度は失敗したが、99年の入団から11年連続で50試合以上に登板してきた鉄人左腕がついに偉業を達成した。交流戦の最後を飾る投球で、18日からリーグ戦が再開される。

 岩瀬らしい控えめなガッツポーズだった。森本の打球が大島のグラブに収まると表情を崩し、解放感いっぱいの笑顔で女房役の谷繁に肩を抱かれた。苦手なはずのお立ち台では、珍しく声を張り上げ「うれしいです!」。前回登板の7日は記録を意識して救援に失敗し初黒星。だが、今度は急きょ巡ってきた出番でも冷静だった。

 「今日決めないとどうしようと思うくらい覚悟を決めていた。(記録は)自分がやっていることとは思えない。1つ1つの積み重ねだと思います」。9回1死から高口に左二塁打を打たれ、最後も森本の大飛球を中堅大島の好捕に助けられた。「本当はもっとカッコよく終わりたかったけど、これも僕らしいですね」と苦笑いした。

 スライダーで打者を翻弄(ほんろう)した。投手は毎年のように相手打者から研究される。多くの投手は新球を覚えて対応していくが、岩瀬は投球の半分以上を占める絶対的なボールで勝負を挑み続けた。「打ち取れる球しか投げたくないから」。打者が何度対戦しても打ちあぐねるボールがあったからこそ、新球全盛の時代を少ない球種で生き抜いてこられた。

 技術だけではない。本当の強さは故障を表に出さないハートにある。抑え1年目の04年には、開幕3週間前に左足中指を骨折。「もう治ったつもり」と自分にいい聞かせ、無理やり開幕に間に合わせた。だが、何度も救援に失敗し、ファンからはブーイングを浴びた。「あの時が一番つらかった…」。痛みで軸足の指先を地面につけられず、かかとで体重を支えていた。バランスを崩し、決め球のスライダーさえ簡単に打ち返された。それでも黙々と投げ続けた。

 昨季の終盤には突然襲ってくる右腕のしびれにも苦しんだ。ブルペンで肩を作ろうにも、グラブをはめた右手が上がらなかった。初めてリードした場面で降板を告げられた。「しびれさえなければ投げられるのに」。もどかしさを押し殺し、復調の時を待った。

 「記録は引退後に振り返ればいい」が口癖。どんな記録でもただの通過点だ。1球が命取りの過酷な戦場では、後ろを振り返ることは許されない。その哲学は名球会入りを決めても不変だ。そして次の通過点は300セーブ。「監督に言われたんで、そこを目指して頑張りたい」。高校、大学では投手として無名だった左腕が、日本では誰も成し得なかった数字を次なる目標に、セーブを積み重ねていく。【福岡吉央】

 [2010年6月17日11時46分

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