日本ハムが、レンジャーズ傘下3Aから自由契約となっている田中賢介内野手(33)を獲得することが2日、分かった。来季はオフにメジャー挑戦した12年以来、3年ぶり古巣復帰になる。水面下で交渉しており、既に年俸など条件面の最終調整に入っているもよう。双方で近日中に基本合意に達する見込みだ。田中は入団から13年間プレーし、リーグ優勝4度に貢献した元チームリーダー。2年連続で逃したペナント奪回を目指す来季、キーマンがカムバックする。

 日本ハムが早くも来季へ向け、戦力整備へと動いた。田中が3年ぶりに復帰することが、この日までに決定的になった。慎重に交渉を進め、既に再入団することで双方の意向の調整は完了したもよう。残るは年俸など金銭面など条件の細部の詰めだけとみられ、早ければ近日中に基本合意、正式決定するとみられる。レ軍傘下を7月に自由契約になって以降、他国内の複数球団が興味を示していたが最終的に、愛着ある日本ハムを選んだようだ。

 立て直しの旗手として期待される。今季は3位でクライマックスシリーズ進出を決めたが、田中が大リーグ挑戦、ジャイアンツへ移籍した昨季は最下位に終わった。2年連続でV逸。田中が在籍中は、頭角を現した06年の日本一を含む4度のリーグ優勝。二塁手の絶対的レギュラーに君臨し、打順も1、2番と上位が定位置。常勝球団へと向かう流れの中で、トップ級の主力としてチームをけん引。ベストナイン、ゴールデングラブ賞ともに5度と一時代を築いた。

 夢への挑戦に一区切りをつけ、プロの原点から再出発する。栗山監督の就任1年目のパ制覇に貢献した12年オフ。海外フリーエージェント(FA)権を行使して、メジャーへ挑戦した。3年契約を1年残して破棄。球団側も功労者だけに、思いに理解を示して容認した。田中は当時、「球団は『いつでも帰ってきていいよ』と言ってくれた。その言葉だけでありがたい」と感謝の思いを明かしたように両者は強い絆、信頼関係で結ばれていた。今回の復帰劇で、最大の決め手になったとみられる。

 米ジャイアンツとマイナー契約してスタートした1年目の13年はメジャー15試合に出場。専門だった二塁守備にも苦しみ、左翼手に転向するなど打開策を模索したが、ほぼマイナー暮らしに終わった。レ軍と同契約をした今季は1度もメジャーに昇格できず、7月に自由契約となり、今後の身の振り方を検討していた。日本ハム時代の象徴の背番号「3」は現在、空き番号となっており、球団側も万全の受け入れ態勢は整っている。

 金子誠が引退するなど世代交代が進む、若手主体の内野手陣のリーダー的存在。また野球に対するストイックな姿勢など、周囲へ波及するプラス効果も加味すれば「大型補強」といえそうだ。

 ◆田中賢介(たなか・けんすけ)1981年(昭56)5月20日生まれ。福岡県出身。東福岡から99年ドラフト2位で日本ハム入団。日本通算1079試合出場、打率2割8分6厘。ベストナイン5度、ゴールデングラブ賞5度。12年オフに海外FA権を行使しジャイアンツとマイナー契約。13年7月にメジャーに初昇格し15試合出場で打率2割6分7厘、2打点、2盗塁。今季は7月までレンジャーズ傘下3Aラウンドロックでプレー。176センチ、78キロ。右投げ左打ち。<田中賢介の米国挑戦>

 ◆13年1月

 ジャイアンツとマイナー契約。

 ◆13年2月

 ジ軍春季キャンプに招待選手として参加。オープン戦19試合で打率2割2分9厘、7失策。3月21日にマイナー行きを通告され、傘下3Aフレズノで開幕。

 ◆同7月9日

 メジャー昇格。64年村上雅則(ジャイアンツ)から日本人通算50人目の大リーグデビューとなる。32歳1カ月のデビューは日本人野手で田口壮(32歳11カ月)に続く2番目の高齢。

 ◆同7月29日

 前年優勝チームの恒例行事としてワシントンのホワイトハウスを表敬訪問し、オバマ大統領と対面。その後にマイナー行きを通告される。メジャー出場15試合。

 ◆同9月2日

 3Aフレズノで、パシフィックコーストリーグの打率3位(3割2分9厘)でシーズンを終える。同月に自由契約。

 ◆同12月20日

 レンジャーズとマイナー契約。

 ◆14年2月

 レ軍春季キャンプに招待選手として参加。オープン戦14試合で打率2割2分2厘、1打点。3月17日にマイナー行きが決まり、開幕は傘下の3Aラウンドロックで迎える。

 ◆同7月20日

 レ軍が、3Aラウンドロック田中の自由契約を発表。3Aでのシーズン成績は62試合出場で打率2割5分8厘、4本塁打、27打点。※日時は米国時間