<第82回都市対抗野球:JR東日本東北4-0三菱重工横浜>◇1回戦◇24日◇京セラドーム大阪

 JR東日本東北(仙台市)の森内寿春投手(26)が、大会史上、54年ぶり2人目となる完全試合を達成した。三菱重工横浜(横浜市)戦に先発。キレのある速球と変化球で12三振を奪い、打者27人で片付けた。チームも昨年4強の相手を撃破。東日本大震災からの復興を目指す被災地に明るいニュースを届けるとともに、森内は今月27日のプロ野球ドラフト会議の指名候補者に急浮上した。

 最後は三振だった。27人目の打者から12個目の三振奪うと、森内は両手を広げてガッツポーズ。快挙を祝って集まってきた仲間に、もみくちゃにされながら、笑顔を振りまいた。今年で82回目を迎えた大会の歴史に名を刻む、史上2人目の完全試合。場内から割れんばかりの拍手を受けた。

 森内

 (完全ペースは)5回が終わって気づきました。低めに集めたのが一番。気にしないように思っていましたが、最後はちょっと力んでしまいました。今まで味わったことのない喜びです。

 計131球の快挙達成。130キロ台後半の直球にカーブ、スライダー、チェンジアップを交え、テンポよく投げ込んだ。6回までは4者連続を含む毎回の10三振を奪った。ゴロアウトは3つで、飛球アウトが三振と同じ12。打者の手元で球が伸びていた証拠だ。

 未曽有の大震災が、精神面を成長させた。チームは3月11日、広島・呉キャンプ中に震災に遭遇。同28日に仙台に戻ったが、約2カ月間の練習休止を余儀なくされた。東北新幹線を含む東北太平洋側のJR各線は大打撃を受けた。森内は、ナインと一緒に被災した石巻市などに泊まり込み、代行バスの乗客案内や物資運搬業務をこなした。その間、余暇には自主練習もこなし、野球ができる真の喜びを知った。負けず嫌いだけに「震災のブランクは関係ない」と言い続けてきた。「証明できたと思う」と胸を張った。

 社会人5年目。入社時から約2年間、ソフトバンク入りした先輩・摂津の背中を追った。球の回転数を多くするため、どうすればリリース時の指先に力が入るかと、摂津のフォームを参考にした。何よりもマウンドの摂津の姿から「エースは絶対に弱い部分を見せてはならない」と強い気持ちを持ち続けることの大切さを学んだ。

 最速146キロ。青森大では、北東北リーグで1試合最多記録になる17奪三振をマーク。ドラフト候補に挙げられた。プロ志望は今も変わらない。だが、来年早々に27歳の誕生日を迎える。ドラフト会議を27日に控え、プロからの調査票は届いていない。「(将来のことを)そろそろ決めなければ」と焦りも感じている。

 しかし、今は、1つでも上を狙うことに集中する。29日の2回戦に向け、藤井省二監督(49)は「はっきりいって、次も(先発は)森内」と断言。森内は「勇気を持ってもらえる1勝になったと思う。続けて次も勝ちたい」と連投に意欲を見せた。【佐々木雄高】

 ◆森内寿春(もりうち・としはる)1985年(昭60)1月2日、青森市生まれ。油川小2年からリトルリーグ「青森ジャイアンツ」で野球を始める。油川中では内野手兼控え投手として「青森シニア」に所属。八戸工大一高から投手に専念。青森大4年春の北東北リーグでMVPを獲得。全日本大学選手権出場。入社5年目のJR東日本東北では、都市対抗と日本選手権に各4度出場(補強も含む)。家族は両親、姉。右投げ右打ち。178センチ、80キロ。血液型O。

 ◆主な完全試合

 プロ野球では94年槙原寛己(巨人)まで15人、大リーグでは昨年のハラデー(フィリーズ)まで20人が達成。甲子園ではセンバツで78年松本稔(前橋)94年中野真博(金沢)が記録。東京6大学リーグでは64年渡辺泰輔(慶大)と00年上重聡(立大)、東都リーグでは53年河内忠吾と55年島津四郎(ともに日大)、首都リーグでは69年上田二朗(東海大)が記録。全日本大学選手権では04年一場靖弘(明大)ら4人が達成している。