今、世界の野球界の中心で大きな光を解き放つ大谷翔平。その光の陰には、地道に練習に励んだ期間と、それを支えた人たちがいる。

19年に岩手・花巻市内に「東北スポーツ整骨院」を開業している小菅智美氏(47)は、04年から花巻東のトレーナーを務めている。大谷の高校時代の肉体、その強さの原点を聞いた。

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小菅氏は中学時代の大谷を見た時の印象を、今でも鮮明に覚えている。練習試合でたまたまショートを守っていた少年は、ひょろっとしているのに、右へ左へ機敏に動き回っていた。「細くて筋肉がないのに、動きが早い。いい選手だな」。それが後に160キロの夢を共に追いかけることになる大谷だった。

小菅氏 私が一番最初にプロ野球選手となる選手の体を診たのは菊池雄星(現ブルージェイズ)でした。雄星は体が柔らかくてしなやかだった。一方、翔平は関節が硬い…いや正確には「緩くない」というのでしょうか。関節がしまっていて安定していた。もともとしなやかな動きのうまさはあったので、力を伝達するのにも有利だったんじゃないでしょうか。ここに筋肉が増してくると、球がのってくるのです。

関節とは逆に「柔らかい」と感じたのは「背骨」。キレイなアーチを描いていた。それは、かつて小菅氏が読んだご両親のインタビュー記事に「小さいころ、枕を使わないで寝ていた」という習慣に由来していると推察する。

小菅氏 通常、背骨はカーブになったり、左右に曲がったりしているもの。ねじれていたらうまく動きません。翔平は枕を使わなかったからか、背骨は真っすぐ。全ての関節がスムーズになっている。だから動作の中でキレイに反ることができるのでしょう。

入学当時から、素材の良さを見抜いていた花巻東スタッフは、佐々木洋監督を中心に「大谷に160キロを投げさせる」というのが共通認識だった。高校時代、最速は157キロの菊池を育てたときと同じスタッフが挑んだ「大谷翔平の160キロ」。そのためには何をすべきか。目標設定し、頻繁にミーティングを行った。

小菅氏 翔平は素材が良かったので体重を増やし筋力をアップさせれば球はいくだろう。まずは体を大きくすることに取り組みました。例えば、テコで考えると長さがある方が強さが増します。その長さに、筋肉や太さがつけばより強いテコになるというわけです。

選手の体を扱うには大きな責任も伴う。1度はその苦悩も経験した。大谷が高2の6月末、左足の骨端線損傷で約半年間、試合で投げることができなかった。「ケガをさせずにトレーニングを積んでいたら…」。自責の念にかられ、辞表を提出。半年間、チームを離れたがスタッフからの強い要望で12年4月、再びトレーナーの任に就いた。

小菅氏 チームを離れた約6カ月。トレーナーとして基礎から学びました。一番変わったのは、選手や患者さんの話に耳を傾けるようになったこと。ケガが治った翔平とも、会話を重ねながら指導。基本的にはスクワットや重量を担ぐトレーニングを多く取り入れ、下半身を大きくした。

ケガのブランク期間があったが、体を大きくしてからの筋力アップ。3年夏、目標の160キロを達成は周知のところ。甲子園出場を逃した後悔も残ったが、今はこうして大きく成長し世界で活躍する大谷を、1人のファンとして応援している。「こんな選手に関われたことは貴重な経験。学び得たものは大きい。感謝しかありません」。そして、最後に力強く言った。「大谷翔平との出会いは、私の人生を変えた出会いでした」と。【保坂淑子】