野球経験者の現役国会議員の原点を掘り下げる「私と野球」最終回は、近鉄や巨人などで活躍した自民党の石井浩郎参院議員(61)です。
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秋田県内で最も小さい町から、世界で活躍するスポーツ選手たちが次々と生まれている。人口5000人ほどの八郎潟町から過去5人のオリンピアンが生まれ、24年パリ五輪バドミントン女子ダブルスで銅メダルを獲得した志田千陽(28)ら4人のメダリストが誕生している。また、プロ野球選手は3人輩出している。一体なぜ-?。同町出身の石井氏の足跡をたどると、その一端が明らかになった。
石井氏 学校に行くと、まずみんなでグラウンドを10周走るのが日課でした。距離にして2キロちょっとなんですが、年間で約600キロは走っていたと思います。他の学校でも同じように走っているのが普通だと思っていたら、自分の学校だけの特殊な習慣だったと知って驚きました(笑い)。
600キロは、距離にすると秋田から東京までの片道分に匹敵する。体が資本のアスリートにとっては、恵まれた環境だった。筋トレに目覚めるのも早かった。
石井氏 小5の時の担任の先生から促されて、同級生の女の子と腕相撲をしたら完敗したんです。自分が1番運動神経が良いと思ったのに、クラスメート全員が見てる前で女の子に負けたことが非常にショックでした。悔しさをきっかけに、本格的な筋トレを始めました。
当時は「筋肉をつけると体が重くなる」「背が伸びなくなる」と否定的な論調が強かったが、「今やらなければ手遅れになる」と譲らなかった。鉄アレーやエキスパンダーを買い込んで体を鍛えながら己を高めた。「背が止まる」という周囲の心配をよそに、中学3年間で身長は20センチも伸び180センチに到達。「もしあの時に腕相撲で負けてトレーニングを始めていなければ、38歳まで現役でプロ野球を続けることは絶対にできなかった」と語る野球人生において大きな分岐点だった。
引退後も評論家や西武2軍監督など野球ばかりの人生から一転し、46歳で政治家へ転身。全く違う分野に足を踏み入れたように映るが「政党政治は政党で団結して戦うという意味では団体戦です。野球で培ったチームプレーや自己犠牲の精神が今生きている」と力を込める。そのスタンスは、昨年12月に立ち上がった超党派の国会議員による「野球の未来を考える議員連盟」でも変わらない。「国会議員の先生方には野球が好きな方が多いんですね。この先の50年、100年の野球界の発展のために、どれだけ汗をかけるか」。元プロの現役国会議員として先陣に立つ。【平山連】
◆石井浩郎(いしい・ひろお)1964年(昭39)6月21日生まれ、秋田・八郎潟町出身。秋田高、早大、プリンスホテルを経て、89年ドラフト3位で近鉄入団。94年には33本塁打111打点でパ・リーグ打点王。巨人、ロッテ、横浜に移籍し、02年に現役引退。通算974試合894安打536打点162本塁打。10年7月の参院選秋田選挙区に自民党から立候補して初当選し、現在3期目。右投げ右打ち。




