左記の者の申請に係る日本国に帰化の件は、これを許可する。 平成二十九年四月二十一日 法務大臣 金田 勝年

 バダルチ・ダシニャム 昭和56年8月7日生

 独立行政法人国立印刷局が発刊する、いわば国の機関紙である官報。その4月21日付の告示を待ちわびていた力士がいた。元関脇で、春場所は陥落した幕下で2場所目の相撲を取っていた朝赤龍(35=高砂、本名バダルチ・ダシニャム)だ。晴れて日本国籍を取得した記念日となった。

 18歳で入門し、17年間の“勤続疲労”で体は満身創痍(そうい)。それでも、相撲をやめるにやめられぬ理由が国籍取得にあった。引退し日本相撲協会に残るには、年寄名跡を取得し親方になる必要がある。その絶対条件が、日本国籍を有する者であること。昨年7月に法務省へ申請し約9カ月。翌22日に、東京・墨田区内にある高砂部屋で朝稽古後、朝赤龍は「いろいろな人に聞くと1年ぐらいかかる、と言われていたから早い方じゃないかな」と、肩の荷を下ろしたような安堵(あんど)の笑みを浮かべながら話してくれた。

 外国出身力士が、親方になるために避けて通れない国籍取得の壁。現に、モンゴル籍のまま年寄になることを切望しているとされる、史上最多優勝を誇る横綱白鵬でさえ、現状の角界の答えは「NO」だ。連綿と受け継がれる角界の伝統を守るべき姿勢は、当然ともいえる。

 朝赤龍は、生まれ育った国の国籍を変えることは「とても勇気がいることだった」と振り返った上で「でも、このまま相撲界に残りたかった。引退後も残るためには親方になる必要がある。そのためには、国籍を変えなければならない。だから迷いはなかった。親の反対もなかったし」と話す。

 だから協会の姿勢も納得できる。それは理解した上で、官報に告示される以前から「心は日本人だった」と言う。「20代とか30代になって日本に来たわけじゃない。10代で外国に来て、右も左も分からない世界に入り、ここまで来たんですよ。それはもう日本人ですよ」。籍は違えど、日本人の心を持たなければ、ここまで順応し、出世も出来なかった-ということだろう。

 これで心置きなく、相撲を取れる。もちろん引退も選択肢の1つだろう。今後、戸籍を取るなど諸手続きを経た上で、去就については師匠の高砂親方(元大関朝潮)と相談した上で決めるという。どんな決断を下そうとも後悔はない。名実ともに「1人の日本人」となった朝赤龍の動向を見守りたい。【渡辺佳彦】