土俵入りのポーズをきめる第51代横綱の玉の海(撮影・平山連)
土俵入りのポーズをきめる第51代横綱の玉の海(撮影・平山連)

忘れてほしくない人がいる。先月、愛知・蒲郡市で行われた没後半世紀を記念する「横綱玉の海展」に足を運んだ際、玉の海の蒲郡中時代の同級生の荒島伸好さん(78)から聞いた言葉が印象に残った。「若い人たちにとって地元出身の有名人といえば、プロ野球の千賀投手。玉の海を知っている人がほとんどいない。寂しいじゃないですか」。全力士の頂点に立った旧友を後世に伝えたいという思いがあふれた。

約90点の資料が並んだ第51代横綱の玉の海を紹介する企画展(撮影・平山連)
約90点の資料が並んだ第51代横綱の玉の海を紹介する企画展(撮影・平山連)
第51代横綱の玉の海のまげなどが展示された企画展(撮影・平山連)
第51代横綱の玉の海のまげなどが展示された企画展(撮影・平山連)
第51代横綱玉の海の座布団(撮影・平山連)
第51代横綱玉の海の座布団(撮影・平山連)
第51代横綱の玉の海が使っていた明け荷(撮影・平山連)
第51代横綱の玉の海が使っていた明け荷(撮影・平山連)

中学3年の頃に相撲大会に出てもらうと、初出場ながら県大会で3位になった旧友。荒島さんは「天性の素質に加えて稽古熱心。わずか数カ月間一緒に練習しただけで、私たち相撲部員を追い抜いていった」といい、卒業後に角界入りして順調に歩む姿を自分ごとのように喜んだ。

70年初場所後に北の富士(現在NHK解説者の北の富士勝昭氏)と横綱に昇進。順風満帆な日々を送っていた矢先、翌年10月右肺動脈幹血栓症により27歳の若さでこの世を去った。

第51代横綱の玉の海の石像の横に立つ中学時代の同級生の荒島さん(撮影・平山連)
第51代横綱の玉の海の石像の横に立つ中学時代の同級生の荒島さん(撮影・平山連)
第51代横綱の玉の海の墓の前に立つ中学時代の同級生の荒島さん(撮影・平山連)
第51代横綱の玉の海の墓の前に立つ中学時代の同級生の荒島さん(撮影・平山連)

あれから51年。同級生らが結集して1500人以上が訪れる企画展ができたが、満足しない。自身にとっては今も地元のヒーロー。「今度は玉の海の常設展示や名前を冠した相撲大会を開きたい」と目を輝かせた。【平山連】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)