「ケンドー・ナガサキ」のリングネームで知られるプロレスラー桜田一男さんが亡くなったことが13日、分かった。71歳だった。死因は不明。元所属先の大日本プロレスによれば、12日に千葉の自宅で亡くなっているところを知人に発見されたという。

桜田さんは64年に大相撲立浪部屋で初土俵を踏み、71年に日本プロレスでデビュー。70年代後半から80年代にかけて米国で落武者姿のヒールレスラーとして活躍した。95年には大日本旗揚げに参加。同団体デスマッチ戦線をけん引するだけでなく、総合格闘技にも挑戦。プロレス界「ケンカ最強」と言われてきた。

この日の大日本後楽園大会では、10カウントゴングでの追悼が行われ、試合中は遺影がリングサイドに飾られた。グレート小鹿会長(77)は「彼の協力がなかったら、今の大日本はない」と感謝。米国に子どもはいるが、日本では独り身だったと明かし、「もし親戚、知り合いの方ががいれば大日本まで名乗り出てほしい。あらためてお別れの会を開きたい」と話した。140キロの巨体を誇るデスマッチエース、アブドーラ小林(43)は「入門時に体重75キロだったのが数カ月で100キロまで増えたのは竹刀を持ちながらちゃんこを食わせてくれたおかげ」と故人をしのんだ。

かつて米国で生活をともにした武藤敬司(57)は「若手時代に海外で大変お世話になり、本当に良くして頂きました。実は自分がプロデュースする大会にも来て頂こうと構想があったのですが…、残念です」。角界の同期でともにSWS旗揚げメンバーだった元プロレスラー天龍源一郎(69)氏は「あまりにも早すぎる訃報に、あんなに頑丈な人がと思うと残念でなりません」と急逝を悼んだ。

◆ケンドー・ナガサキ 本名桜田一男(さくらだ・かずお)1948年(昭23)9月26日、北海道網走市生まれ。中学卒業後、大相撲立浪部屋に入門。1971年(昭46)に日本プロレス入門。同年6月27日、戸口正徳戦でデビュー。73年の団体解散後に全日本入りし、76年から米マットなど海外で活躍。81年にケンドー・ナガサキとなる。90年にSWS旗揚げに関わり、NOWを経て、95年に大日本旗揚げに参加。98年に退団し、フリー。188センチ、120キロ。