元世界3階級制覇王者ホルヘ・リナレス(35=帝拳)が5本目の世界ベルト奪取に失敗した。WBC世界ライト級王者デビン・ヘイニー(22=米国)に挑み、12回判定負けを喫した。13歳年下の若き王者に敗れ、18年5月のワシル・ロマチェンコ(ウクライナ)に敗れて以来、約3年ぶりの世界王座返り咲きを実現できなかった。

20年2月以来、約1年3カ月ぶりのリングだった。ヘイニー戦が決定後、リナレスは「自分のコンディションは今が最高」と眼光鋭く口にした。4~5年前、少年時代のヘイニーとスパーリングした経験もあり「彼は若い。自然なことだけれど、若さは経験不足を伴う。ビッグファイトを既に考えているようだが、それは大きな間違いだ」と大きな「壁」として立ちはだかる覚悟を示した。

4月上旬には1週間、同門のWBA世界ミドル級スーパー王者村田諒太(35)、元日本スーパーフェザー級王者尾川堅一(33)と成田で走り込み合宿を敢行。「最高のコンディションに仕上げられる」と手応えを口にしていた。今月21日に弟カルロス・トレーナーとともに現地入り。試合3日前には体重もリミット61・2キロを下回るなど調整も順調だった。「ラスベガスで最高のトレーニングをこなして、世界タイトルを獲得するつもりです」と強い決意でリングに入ったが、王者ヘイニーに屈した。

7年ぶりの「聖地」ラスベガスの試合だった。観衆の熱気に包まれた試合会場は思い出の場所でもある。07年7月21日、オスカー・ラリオス(メキシコ)との決定戦を10回TKOで制してWBC世界フェザー級王座を獲得し、初めて世界王者となった。リナレスは「マンダレイ・ベイに再び来ることができて、とてもうれしい」と運命的な縁を感じつつ、リングに立っていた。また、この日はラスベガスで誕生した愛娘クロエちゃんの4歳の誕生日でもあったが、5本目の世界ベルトを届けることはできなかった。

◆ホルヘ・リナレス 1985年8月22日、ベネズエラ・バリナス生まれ。元ボクサーの父ネルソンさんの影響で6歳からボクシングを始める。アマ戦績は151勝(100KO・RSC)5敗。02年8月、17歳で来日し、同12月に1回KO勝ちでプロデビュー。07年7月にWBC世界フェザー級王座を獲得。08年11月にWBA世界スーパーフェザー級王座、14年12月にWBC世界ライト級王座を獲得し、3階級制覇を達成。16年9月にはWBA同級王者クロラを下し、2団体統一王者に。身長173センチの右ボクサーファイター。