東京都文京区の後楽園ホールが4月16日、開業60年を迎えた。ボクシングのリング常設会場として1962年(昭37)の同日にオープン。日本フェザー級王者の高山一夫(帝拳)-オスカー・レイス(フィリピン)の10回戦をメインに据えた興行が、こけら落としとして開催された。以来、「ボクシングの聖地」として、数万試合が行われ、数々の名勝負の舞台となった。そこで日刊スポーツが独断で選んだ「後楽園ホール名勝負ベスト5」を紹介する。

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(5)日本バンタム級タイトルマッチ(1990年9月11日)○2位・辰吉丈一郎(大阪帝拳)【4回KO】●王者・岡部繁(セキ)

★平成の天才ボクサー、辰吉丈一郎が“聖地”初登場で、衝撃KOで日本最短タイ記録で王座奪取。

※プロ4戦目の“うさわの天才ボクサー”辰吉が、後楽園ホールに初登場。開始から自在にパンチを繰り出して王者を圧倒。4回に右強打で最初のダウンを奪うと、最後は左ボディーアッパーで3度目のダウンを奪い圧勝。最短タイ記録で日本王座を奪取した。1年後に8戦目でWBC世界バンタム級王座を奪取する。

(4)スーパーフェザー級ノンタイトル10回戦(1968年11月18日)○WBA世界フェザー級王者・西城正三(協栄)【8回KO】●フィリピン・フェザー級王者・フラッシュ・ベサンデ(フィリピン)

★日本人で初めて海外で世界王座を奪取して“シンデレラボーイ”と呼ばれた西城正三が凱旋試合で見せた意地の大逆転KO劇。

※米ロサンゼルスで世界王座を奪取した西城の注目の帰国第1戦は、フィリピン同級王者とのノンタイトル戦。1回に先制のダウンを奪うも、2回にダウンを奪い返されるなど7回まで4度も倒された。しかし、敗色濃厚になった8回、右強打でダウンを奪い、さらに2度のダウンを追加して大逆転勝利。世界王者の意地を見せた。

(3)日本スーパーバンタム級タイトルマッチ(1989年1月22日)○1位・高橋ナオト(アベ)【9回KO】●王者・マーク堀越(八戸帝拳)

★世界王者不在の89年を代表する年間最高試合。高橋が絶体絶命からの逆転KOで2階級制覇達成。

※2階級制覇を目指す高橋は4回、6連続KO防衛中の堀越から右強打で2度のダウンを奪う。8回にダウンを奪い返され、9回も堀越の強打で窮地に陥ったが、左フックをカウンターで決めて形勢逆転。左右フックで3度目のダウンを奪い、さらにダウンを追加して試合を終わらせた。同年の年間最高試合。

(2)WBA世界ミドル級タイトルマッチ(1995年12月19日)○4位・竹原慎二(沖)【判定】●王者・ホルヘ・カストロ(アルゼンチン)

★圧倒的不利が予想されテレビ中継もなかったが、竹原が下馬評を覆し日本人初の世界ミドル級王座奪取。

※竹原は東洋太平洋王者で23戦全勝(17KO)で、アジアでは無敵だったが、105戦のキャリアを誇る28連勝中の王者に勝ち目はないと思われていた。ところが、竹原は3回に左ボディーフックでダウン経験のないカストロからダウンを奪うと、中盤以降の王者の反撃をしのぎ、9回に再び左ボディーフックでぐらつかせるなど3-0の判定勝ち。世界中の猛者が集うミドル級で日本人で初めて頂点に立った。

(1)WBC世界ミニマム級タイトルマッチ(1990年2月7日)○7位・大橋秀行(ヨネクラ)【9回KO】●王者・崔漸煥(韓国)

★大橋が日本勢の世界王座挑戦21連続失敗のワースト記録を止め、世界王者不在時代にピリオドを打った。

※大橋が好戦的な王者との打撃戦を制した。左ジャブと連打で中盤から主導権を握り、9回に左ボディーブローで2度のダウンを奪いKO勝ち。日本の世界挑戦21連続失敗のうち2敗を刻んでいた大橋は、自らの拳で日本ボクシング“冬の時代”にピリオドを打ち、平成初の世界王者になった。

 

 

◆後楽園ホール 1962年(昭37)1月にオープンしたボウリング会館ビル(現後楽園ホールビル)に、前身の後楽園ジムナジアムが移設されて、同年4月16日にこけら落としのボクシング興行が行われた。67年に後楽園ホールに改称された。初めての世界戦は70年の小林弘-アントニオ・アマヤのWBA世界スーパーフェザー級戦。開業から4年後にプロレスも使用するようになり「格闘技の聖地」と呼ばれる。客席は約1600席で立ち見を含めると約2000人収容。所在地は東京都文京区後楽1の3の61。