ジャイアント馬場さんが1972年(昭47)に全日本プロレスを創設してから半世紀、団体の「50周年記念大会」が18日に東京・日本武道館で開催された。

6人タッグマッチでは、「馬場イズム」を継承する大仁田厚(64)が、渕正信(68)、越中詩郎(64)と組み、国内最年長現役プロレスラーのグレート小鹿(80)らと対戦した。馬場さんが掲げた全日本のスローガン「明るく楽しく激しいプロレス」を自らのファイトで体現。全日本の意識改革を提言した。

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大仁田は、この日のためにあつらえたというまっさらなジャケットを身にまとい、“生まれ故郷”に帰ってきた。

「僕は全日本を離れてハードコアの戦いを作り上げたんだけど、全日本50周年で戻った時にはもう1回『大仁田厚』という自分でいたい」

大会前にそう話した通り、この日は型破りなプロレスを封印。かつての盟友たちと、時折笑顔を交えながら、そして真剣に、真正面からぶつかり合った。自身のファイトで、全日本のスローガンである「明るく楽しく激しいプロレス」を体現してみせた。

ジャイアント馬場さんの新弟子第1号として73年に全日本に入門。ジュニアの屋台骨を支えた大仁田は、創設50周年を機に「馬場イズム」の見直しを提言する。「明るさ」「楽しさ」を、もっと前面に押し出すべきと主張した。

「馬場さんは注射しても何をしても、痛みを押してリングに上がり続けた。自分がトップである以上、お客さんがそこにいる限り楽しませた」

自身も痛み止めの注射を打ちながら、今でもリングに立ち続ける。観客ファーストのプロレス精神を持つ大切さを呼びかけた。

また、外国人王国の復権を人気再獲得の至上命令に掲げた。団体初期にはミル・マスカラスやテリー・ファンクなどアイドル的な人気を博した。当時、ベビーフェースの外国人選手が団体をけん引したことに触れ、「応援したいとか、あの人を見たいという外国人選手がいない。そのために対抗できる日本人、ジャンボ鶴田さん2世を作らないといけない」と、革命児誕生に期待した。

「楽しくて、うれしくて…」。今回の大会を、そう振り返った大仁田。体が動く限り、馬場さんから受け継いだ「イズム」をリング上で語り続けていく。