新日本プロレスで活躍し「いぶし銀」として知られた元プロレスラー木戸修さんが死去したことが14日、分かった。11日の午後10時過ぎ、神奈川・横須賀市内の病院で亡くなった。73歳だった。同日、容体が急変し、自宅から救急搬送されて息を引き取った。

関係者によると、数年前から、がんを患っており、抗がん剤治療などを受け続けていたという。

娘にはツアー1勝のプロゴルファー木戸愛(33)がいる。遺族の意向で、通夜・葬儀は近親者のみで執り行う。

68年10月に日本プロレスに入門し、69年2月にデビューした木戸さんはアントニオ猪木、藤波辰爾らと日本プロレスを退団し、72年3月、新日本の旗揚げメンバーとして参加。75年6月に藤波とともに海外修行でドイツに渡って8カ月間、参戦。その後、米国で「プロレスの神様」カール・ゴッチからレスリング技術を学んだ。帰国後はグラウンド(寝技)テクニック、関節技を中心としたファイトを展開し、84年から第1次UWFにも参加。85年に新日本に復帰すると、86年8月には前田日明とIWGPタッグ王座も獲得した。

90年2月には全日本プロレスとの対抗戦で木村健悟と組み、ジャンボ鶴田、谷津嘉章組と対戦。92年からは天龍源一郎率いるWAR勢との対抗戦でも実力を発揮した。01年11月、横浜文化体育館で33年間の現役生活に終止符を打った。その後、コーチとして新日本に残り、現在、米プロレス団体WWEのトップレスラーとして活躍する中邑真輔らを育成した。

現役引退後、ゴルファーを目指した娘・愛の育成も力を注ぎ、ジュニア時代は車の送迎役も買って出た。プロとなった愛のツアーにも帯同し、送迎などを担当しながら18ホールを歩いて応援。自宅でトレーニングを続けていることも明かしていた。

また一時的に現役にも復帰。05年にはビッグマウス・ラウド、08年6月には全日本プロレスで、西村修、松田納(エル・サムライ)とのユニット「オサム軍団」として出場。10年2月にはアントニオ猪木が旗揚げしたIGFにも参戦していた。

◆木戸修(きど・おさむ)1950年(昭25)2月2日、神奈川県生まれ。69年2月、日本プロレスでデビュー。カール・ゴッチに技術を学ぶ。72年の新日本旗揚げに参加。84年に第1次UWFへ。新日本に復帰し86年IWGPタッグ王座奪取。01年11月に引退も05年ビッグマウス、08年全日本に参戦。得意技はキドクラッチ、わき固め。180センチ、105キロ。