プレーバック日刊スポーツ! 過去の11月16日付紙面を振り返ります。2003年の一面(東京版)は横綱武蔵丸の引退ニュースでした。

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 第67代横綱武蔵丸(32=武蔵川)が引退を決めた。前頭土佐ノ海(31)に敗れて4敗目。打ち出し後、宗像市の同部屋で師匠の武蔵川親方(55=元横綱三重ノ海)に引退の意思を伝え、同親方が発表した。武蔵丸本人は今日16日、引退会見に臨む。左手首負傷の回復が遅れ、6場所連続休場。進退を懸けて臨んだ今場所も、黒星が先行する苦しい土俵が続いていた。歴代6位タイの12度の優勝を誇るハワイ出身横綱は、今後「武蔵丸親方」として後進の指導にあたる。

 自ら土俵を割った武蔵丸が天を仰ぐ。勢いがついた自分の体を止めることができない。左足から外に踏み出す。覚悟を決めたように、ふうーと息を吐き、相撲人生に終止符を打った。取組後には「気持ちは前に出ている。あした? ええ、出ます。気力? とりあえず気力は大丈夫。どこまで出るかは分からないけど」。懸命に言葉を振り絞った。

 進退を懸けた九州場所、武蔵川親方はかたくなに15日間出場すると言い続けた。武蔵丸も意欲を持ち続けた。それが、4敗目を境に事態は急転した。宗像市の部屋に戻った横綱を、出島、垣添らが迎えた。急を知った武双山、雅山が部屋にかけつける。物々しい空気の中、当初は所用で帰りが遅くなるはずだった武蔵川親方が、急きょ部屋に戻り緊急会談が始まった。

 優勝争いから遠のく4敗目、あっけない負け方に、最後は武蔵丸本人が決断した。武蔵川親方は午後8時すぎに会見し、話し合いの様子を説明。「私が呼んで話を聞いたら、本人もこれ以上横綱としての相撲を取ることができないと言うので了解した。本人は、一生懸命になって乗り切ろうという気持ちでしたが、特に今日の一番で意思を固めたようです」。千秋楽まで取り続ける方針には「本人もその気持ちだったが、今日の一番を取った中で、これ以上もう千秋楽まで取れないという気持ちになったのでしょう」と代弁した。

 2人だけの話し合いの中では、親方が「本当に長い間ご苦労さまでした」というねぎらいの言葉をかけ、淡々とした表情で引退の結論が出された。今後のことについては「そこまで話していない」と語った。「武蔵丸なりに頑張ってこの結果なので、本人に悔いはないと思うし、よく頑張ってくれた」。武蔵丸の気持ちを優先し、親方の顔にもほっとした様子がにじんだ。

 九州場所に出場を決断した時点で、相当の覚悟は抱いていた。秋場所を休場した時、武蔵丸は苦しい胸の内を吐露したことがある。「1年近くも本場所から離れているんだ。そんなに簡単に戻るはずがないよ」。自分の相撲が取れない、本来の動きができないということも自覚していた。それでも6場所連続休場という状況に、出場を決断せざるを得なかった。

 周囲から慕われた巨漢横綱だった。02年秋場所、貴乃花の感動優勝が騒がれる陰で、自らの左手首の負傷を隠して出続けた。その後も休場する貴乃花ばかりが注目される中、1人横綱として相撲界を支えてきた。「I WILL BE BACK」。「復活」という言葉を嫌い、心境をそう淡々と表現した武蔵丸は、福岡で力尽きた。

◆武蔵丸の主な記録

・幕内昇進 初土俵から所要13場所で入幕。貴乃花、旭富士と並ぶ5位タイのスピード出世

・幕内優勝 初土俵から所要30場所で3位(1位は貴乃花、朝青龍の24場所)。優勝12回は6位(1位は大鵬の32回)

・優勝同点 6回で1位(2位は貴乃花の5回)

・幕内勝利 706勝で4位(1位は千代の富士の807勝)

・通算勝利 779勝

・連続勝ち越し 55場所で1位(2位は北の湖の50場所)

・2ケタ勝利 50場所で4位(1位は大鵬の57場所)

・スロー横綱昇進 大関在位32場所で琴桜と並ぶ1位タイ

・横綱勝利 216勝で15位(1位は北の湖の670勝)

※記録と表記は当時のもの