大相撲の冬巡業は22日、茨城・土浦市で行われ、約3週間の全日程を終えた。朝稽古では同市出身の大関高安(28=田子ノ浦)が会場を盛り上げた。ぶつかり稽古で前頭碧山に胸を出すと、その後は自ら声を掛け、栃ノ心との大関同士による豪華な三番稽古を実施。互いの意地をぶつけ合い、計12番で6勝6敗と互角だった。けんか四つの相手に差し手争いでも互角。得意ではない右四つになっても、構わず寄り切るなど、パワー自慢を相手に力勝負でもひけを取らなかった。

その後のぶつかり稽古では、横綱白鵬に約6分間、胸を借りた。「地元の皆さんに喜んでもらおうと思って」と、栃ノ心と同様に、事前にお願いしていた。何度となく転がされ、泥まみれになったが、最後は大きな拍手がわき起こった。同時に「白鵬ありがとう」という声援も飛んでいた。

実は白鵬には10年10月15日に、同じく土浦市で行われた秋巡業で胸を借りていた。当時からすでに横綱だった白鵬に対し、高安は同年11月の九州場所での新十両昇進を決めていたが、厳密にはまだ幕下。番付では大きな差があったが、4番相撲を取って1勝していた。この日、高安は「その時のことを思い出した。ありがたいことです」と感謝した。

当時、白鵬は62連勝中だっただけに、その時に抱いた自信が、その後の高安を大きく成長させた。また、双葉山の持つ史上最長69連勝超えに迫っていた白鵬の連勝を、約1カ月後の10年11月に「63」で止めたのが、兄弟子の稀勢の里だった。尊敬する兄弟子に一段と近づきたい思いを強め、それが間接的に高安の成長につながったのかもしれない。

この日、白鵬は「あれは土浦だったんだ。あの時の若い衆が高安だったのか。若い人の方は覚えているもんだね。もっと若手に胸を出していこうかな」と、後進育成という側面もある横綱の責任を感じていた。また、観衆からの「ありがとう」の声援には「さすが、茨城の人は相撲を分かっているね。うれしかった」と、白鵬にとっても収穫を感じた様子だった。

11月の九州場所で、高安は千秋楽に敗れて初優勝を逃した。「千秋楽まで優勝を争ったことは、これまでも何回かあったけど、今回は目の前にぶら下がっていた。でも、よくよく考えれば負けて当然。千秋楽まで取り切れる体力がなかった。だから体力をつけたい。休んでいる暇はない。初場所(来年1月13日初日、東京・両国国技館)は優勝を目指していきたい」。今回の巡業では初日から精力的に稽古をこなして完走。今後も稽古を重ね、来年こそ初優勝をつかむつもりだ。