日本相撲協会は27日、福岡国際センターで来年の大相撲初場所(1月12日初日、東京・両国国技館)の番付編成会議を開き、九州場所(24日千秋楽)の幕下で7戦全勝優勝した、大関経験者の西幕下10枚目照ノ富士(27=伊勢ケ浜)ら5人の再十両昇進を発表した。新十両はいなかった。

照ノ富士は、昇進した15年名古屋場所から17年秋場所まで、14場所で大関に在位したが、手術した両膝の負傷や内臓疾患などで18年夏場所の東十両8枚目(9敗6休)を最後に、関取の座を失った。翌場所から4場所連続全休。「これでやめたい、という気持ちもあった」と自分の中で1度は引退に心が傾いた時もあったが、再起を促す周囲の声もあり治療とリハビリに専念した。

過去に大関から陥落後、本場所で相撲を取った力士はいるが、それも十両まで。幕下以下で相撲を取った力士はいなかった。プライドもあり、年齢的な衰えからくるものだが、照ノ富士は今年3月の春場所、西序二段48枚目で再起の土俵に上がった。

その場所を7戦全勝(優勝決定戦に敗れ優勝同点)、5月の夏場所は東三段目49枚目で6勝1敗、7月の名古屋場所も東幕下59枚目で6勝1敗、9月の秋場所は7番相撲で敗れ全勝でならなかったが6勝1敗と順調に復帰の道を歩み、7戦全勝が条件だった九州場所で13年秋場所の十両、15年夏場所の幕内に続く3度目の各段優勝を条件クリアの7戦全勝で果たした。

18年夏場所以来、10場所ぶりの再十両で関取復帰を果たした照ノ富士は、取材対応で以下のように胸中を語った。

-昇進が決まった

照ノ富士 あらためて気が引き締まる。今よりも、前よりも、もう少し頑張らないといけないという思いです。

-序二段まで落ちて、どのような思いで相撲を取っていたか

照ノ富士 親方やおかみさん、落ちても変わらず応援してくれた方々の支えがあった。ファンからの声援も大きかったので、もう1回、皆さんに恩返ししたいという気持ちで頑張った。

-関取として、どんな相撲を取っていきたいか

照ノ富士 15日間、取ることになるので15日間、出る以上は精いっぱい力を出し切って頑張りたい。

-応援してくれるファンに向けて

照ノ富士 さっきも言ったように、応援してくれる方の期待に応えられるように頑張りたい。

-来場所の目標は

照ノ富士 一番一番を集中して、具体的に何番とかはないが、1つでも多く白星を挙げられるように頑張りたい。

◆照ノ富士 春雄(てるのふじ・はるお) 1991年(平3)11月29日、モンゴル・ウランバートル出身。本名=ガントルガ・ガンエルデネ。11年5月の技量審査場所で間垣部屋から初土俵(その後、伊勢ケ浜部屋へ転属)。しこ名は若三勝から13年秋場所の新十両昇進を機に照ノ富士に改名。14年春場所で新入幕。15年春場所で新三役の関脇に昇進。13勝2敗の優勝次点、翌夏場所は12勝3敗で初の幕内優勝を果たし、場所後に大関昇進。14場所あった大関在位中は3度の優勝次点があったものの、一方で膝のケガによる3度の休場を含む7度の負け越しと苦しんだ。三賞受賞4回。192センチ、178キロ。右四つ、寄り。