大相撲の横綱審議委員会(横審)の委員で俳優の紺野美沙子氏(61)が、このほど日刊スポーツの取材に応じ、あふれ出る相撲愛や名古屋場所(10日初日、ドルフィンズアリーナ)への期待を語った。ファン歴は半世紀ほどになる元祖スー女(=相撲女子)。今年4月から新委員に就任した。一ファンとしての視点も大事にしながら、相撲界の発展に貢献したいと意気込んでいる。【取材・構成=平山連】

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横綱審議委員会のメンバーに就任してから、はや3カ月。重責を担うプレッシャーを尋ねると、紺野氏は「基本的には変わらず、一ファンの視点を大事にしています」ときっぱり言った。続けて「こういった形で取材を受けたときに、以前のように天真らんまんに「○○関がかわいいよね」「□□関が好き!」とか答えるのは自粛した方がいいのかな(笑い)」とちゃめっ気たっぷり。好きな相撲に関われる喜びが勝っているようだ。

「(横審就任の)打診をいただいた時は、『ヒョエー』『ウソ-』みたいなかんじでした。子供の頃からいつも見ていて、偉いおじさんたちの集まりというイメージでした。年齢層がやや高めという印象でしたが、自分もそういった年齢になったのかな。各界のそうそうたる皆さんが集まる会議にお声を掛けていただき、本当に光栄です」

相撲との縁は深い。きっかけは幼少期に同居していた祖母だ。

「祖母がお相撲のファンで、本場所中は必ずNHKの中継を観ていました。中継を姉と私も一緒に観るのは、ごく自然なことでした」

柏戸、大鵬、北の富士、玉の海…。思春期に憧れた名力士たちの名を挙げると、いとまがない。ただ、学生時代は相撲を語れる女子が少なく、モヤモヤしたこともあるという。

「学校では全く一緒に話す友達がいなくて…。当時はバレーボール、女子プロレス、ローラースケートとかが人気でした。相撲ももちろん人気だったけど、女子のちびっこファンが少なかった。中学に入ったら相撲が好きだという女の子が1人いて、クラスは違ったけど、熱戦があった次の日はその子の教室に行きましたね。ベランダとかで『旭國すごかったね』『魁傑の外掛けかっこよかったね』とか、ひそひそと話す感じでした(笑い)

初めて生で相撲を観戦した時の興奮は、今も覚えている。1972年の名古屋場所で外国出身力士として初優勝した米ハワイ出身の平幕高見山も、現役時代に応援していた力士の1人。「高見山さんの優勝から50年かぁ。私の熱狂から50年になるというのは、やっぱり感慨深いですね」としみじみとした表情を見せる。

「小学校高学年か中学生ぐらいのときだったと思います。当時は蔵前に国技館があって、家族で行きました。セキュリティーがおおらかな時代でしたね。取組が終わって花道を下がっていく際に、みんなベタベタとお相撲さんを触るのが恒例となっていて。私も高見山さんを触りに行こうとしました」

俳優業のかたわら、相撲の仕事も舞い込むこともしばしばだった。NHK中継のゲストに呼んでもらったり、元横綱の曙ら名力士たちと対談したり。雑誌でコラム連載を担当したこともあった。

「相撲関係のお仕事をいただいて、うれしかったですね。ただ、今も相撲関係は仕事とは思っていなくて、どちらかというと役得です」

2カ月に1度本場所が開催されると、今も心が躍る。九州場所が終わると、今年も終わったと寂しさを覚えるのも変わらない。「もう風物詩ですね。やっぱり場所が始まるときはうれしいし、終わるとガックリみたいな感じです」。

名古屋場所がいよいよ幕を開ける。新型コロナウイルス感染対策ガイドラインの違反で6場所出場停止処分が下った朝乃山(28=高砂)が、西三段目22枚目で土俵復帰する。

「十両に上がった姿を見て、本当久しぶりに正統派の四つ相撲力士が出てきたと感じました。コロナ前に行われた富山巡業を見に行く機会があったんですが、会場周りののぼり旗のほとんどが朝乃山でした。三段目からの再出発はちょっと悲しいですけど、過去は過去。名古屋場所で心機一転をしてほしい」

横審として、上位陣の奮闘にも注目する。かど番を迎える正代(30=時津風)、御嶽海(29=出羽海)の2大関にも「やってくれると思います」と期待感でいっぱいだ。

「やっぱり上位陣が強くならないと、場所が締まらない。なんとか名古屋を気温以上に熱くなってほしいです」

相撲を心から愛する紺野氏。メディアへの注文も忘れず「相撲の記事が一面に来ることが非常に少ないです。(ページをめくって)まだかな、まだかな、まだかな…。プロ野球、ボクシング、ゴルフも面白いけど、やっぱりお相撲がもっと大きくなるとうれしいです」と、取材中ずっと笑顔が絶えなかった。

◆紺野美沙子(こんの・みさこ)1960年(昭35)9月8日、東京都生まれ。80年慶大在学中にNHK連続テレビ小説「虹を織る」のヒロイン役で人気を博し、「武田信玄」「あすか」など多数のドラマに出演。熱心な大相撲ファンとしても知られ、19年から21年まで日本相撲協会設置の「大相撲の継承発展を考える有識者会議」で委員を務めた。