大相撲の最高位前頭5枚目で、1日付で現役を引退し、年寄間垣を襲名した石浦(33=宮城野)が7日、東京・両国国技館で会見した。13年初場所の初土俵から10年余りの現役生活を振り返り「あっという間の10年でした。その中で、たくさん良い経験をさせてもらいました。今、振り返ると苦しかったことよりも、良かったことを思い出します」と、しみじみと語った。

最高位で迎えた昨年3月の春場所で、3日目に首の大けがを負い、それが引退につながった。「その時は『もう1番勝てば幕内に残れる』と思って再出場しました。次の場所も幕内で相撲を取りたいと思っていた」。同場所11日目から再出場し、1勝を加え、その場所を2勝7敗6休とし、狙い通りに次の夏場所は幕内に残ったが、首のけがは当初の予想以上にひどかった。昨年夏場所から7場所連続全休。5月まで行われた夏場所では序二段まで番付を落としていた。

すでに昨夏には引退を覚悟していたという。杏子夫人(29)には「無理かもしれない」と、現役引退は避けられそうにないと伝えた。すると「お疲れさま」と返された。さらに昨夏のある日、治療を終えて帰宅すると、杏子夫人、長男謙宗(けんぞう)くん(5)、長女環(たまき)ちゃん(3)、次男寛治くん(2)が、並んで眠っている姿を見て、現役への未練がなくなった。

「4人が寝ている姿を、顔を見た時に『いいかな』と思った。手術をすれば相撲はできないとお医者さんに言われていた。手術をせずに相撲を続けたら、半身不随になる危険性もあった。健康な体で、子どもの成長をずっと見守っていきたい。三役になりたいとか夢もあったけど、4人の顔を見るのが1番の幸せだと気付いた」。こう話すと、涙をこらえきれなくなった。

治療、リハビリで「今は私生活は普通に送ることができるようになった」という。ただ、最高で130キロほどあった体重が、現在は100キロほどまで落ちたこともあり、やはり現役復帰は難しいと判断し、引退となった。引退に際し、入門時の師匠だった先代宮城野親方であり、先代の間垣親方(元前頭竹葉山)が名跡を譲ってくれることになった。石浦は「再雇用が3年残っている中、今後の宮城野部屋のことを考えて譲ってくださった。感謝しかない」と、頭を下げた。

172・5センチの小兵ながら、新入幕の16年九州場所では、2日目から10連勝するなど優勝争いに絡み、敢闘賞を獲得した。通算成績は350勝321敗108休。幕内在位は26場所。思い出の一番は、21年名古屋場所8日の宇良戦。4度目の顔合わせで、初めて宇良から白星を挙げた一番で「宇良関にとっては、長い相撲人生の中の1番かもしれないけど、自分にとっては重要な一番でした。同じように小兵といわれ、ずっとリベンジしたくて、どうしても勝ちたかった」と、勝った直後に涙を流して喜んだ取組を思い出しながら話した。

会見に同席した師匠の宮城野親方(元横綱白鵬)は「石浦がいなかったら14年間、綱を張ることはできなかった」と、現役時代に最も長く関取として一緒に稽古した、弟弟子を称賛した。引退相撲、断髪式は来年6月1日を予定。「宮城野部屋が好きなので、強い子も入ってきたり、前からいる子も強くなってきたりしていて、指導したいです。これからも宮城野親方を支えたい。宮城野部屋の縁の下の力持ちになりたい」。第2の人生に向けて、最後はすがすがしい表情を見せていた。