大相撲の元大関朝潮で先代高砂親方の長岡末弘さんが2日、小腸がんのため死去したことが3日、分かった。67歳だった。近大時代にアマ、学生横綱の2冠の実績を引っさげ高砂部屋に入門。強烈なぶちかましで千代の富士全盛時代に活躍。幕内優勝も果たし大関にも昇進した。現役時代同様、引退後も陽気なキャラクターから「大ちゃん」の愛称で親しまれ、広報部長などを歴任。師匠として横綱朝青龍、大関朝乃山らを育てた。65歳の定年翌年の21年6月に日本相撲協会を退職。1年前に発症したがんと闘いながら懸命なリハビリ生活を送っていた。
◇ ◇ ◇
愉快で明るい人。角界の空気を重苦しいと感じていた人だった。少しでも変えよう。人前で明るく振る舞い、別世界と思われている相撲を、一般の人の目線に近づけようと考えていた。
根っから明るい人。高知県出身で、父は捕鯨船に乗っていた。何カ月も家に帰ってこない。長岡少年は心配する家族を思い、子供の時から明るく振る舞った。それがそのまま性格となり、大人になった。
近大に入学した時の話。当時はハラスメントという概念がない時代だ。相撲部には、先輩の厳しいしごきがあったという。最難関は「セミ」というしごき。先輩が「セミ」と叫ぶと、下級生は巨体で木にしがみつき「ミーン・ミン」と大きな声で鳴き声をまねしないといけない。声が小さかったり、木から落ちると、厳しいしごきがある。
1年生の長岡くんは、木にしがみつき「ツクツクボウシ、ツクツクボウシ」と叫んだという。その場の全員が大笑いで、それ以来、近大の夏の風物詩でもあった「セミしごき」はなくなったという。
「ツクツクボウシ」は、とっさに思いついた。「どんな状況でも相手を笑わせて場を和ませることが大事なんだ」。だから朝青龍騒動の時も「ダブル虹を見た」など、場違いの発言をしてひんしゅくを買った。その夜「なんで?」と聞いたら「怒られると分かってたけど、それがオレのキャラなんだよ」と豪快に笑った。【元大相撲担当=盧載鎭】

