青緑のしま模様が特徴的で、日本の食卓になじみ深い魚、サバ。大阪を拠点にサバ料理専門店をチェーン展開する「鯖(さば)や」(大阪府豊中市)の右田孝宣社長(45)は、サバに特化したビジネススタイルにこだわり続けてきました。サバの養殖、販売、飲食、ブランド化…。来年3月8日、和歌山県田辺市に体験型観光施設「サバビレッジ」のオープンを発表しました。日本初の「サバ村」には地方再生の強い思いがあります。熱血社長の「サバ愛」を聞きました。

インタビューで仕事のモチベーションを尋ねたときでした。右田さんが身を乗り出して、グッと迫ってきました。

「僕の原動力は『サバ王』なんです」

エッ!? サバ王?

「ゴールは明確なんです。サバで日本一、サバで世界一、そして名実とも『サバ王』になりたい」

ナニワの熱血社長の目は真剣です。サバ王への大事なステップが「サバの日(3月8日)」にオープン予定の「サバビレッジ」です。

「サバのエサやり体験をしてもらったり、釣ったサバをレストランで食べてもらったり、夕日をみながらグランピングでサバの海鮮バーベキューを楽しんでもらったり。非日常の空間を味わいながら癒やされる、そんな施設にするつもりです」

すでに施設のある田辺の海ではサバの完全養殖に成功しました。成魚から採った卵を受精させ、ふ化した稚魚を育て、その成魚から再び採卵するというものです。これまで独自の手法で「世界一のサバ」をつくることを目指してきましたが、サバビレッジでは「世界一のサバ」を食べ、レジャーを満喫してもらうのが目的です。

「サバビレッジ」はサバ一本に絞ったビジネススタイルの集大成の施設だといいます。「卵からの完全養殖に成功し、サバのエサも自分たちでつくっています。卵から出口のレジャーまでの“一気通貫モデル”を実現させたい」。

サバ王を目指すための土台をつくってきました。右田さんは大阪市内の高校を卒業後、兵庫県内のスーパーの鮮魚店に勤務した。実は魚嫌いだった。配達先の料理店で食べた「カレイの煮付け」のまかないに衝撃を受け、魚の奥深さに目覚めたそうです。

97年に単身オーストラリアに渡り、シドニーの回転ずしチェーンで工場長やスーパーバイザーを務めた後、帰国。07年にサバずしを製造、販売する専門門店「鯖や」を設立し、14年にサバ料理専門店「SABAR(サバー)」を大阪・福島で1号店を出したのを皮切りに、現在は京阪神や首都圏など国内外で23店舗を展開しています。

「サバで正解だったと思います」。飲食だけはなく、16年にはJR西日本などと連携して、地下海水を使い、陸上養殖で寄生虫の付きにくい「お嬢サバ」を開発。ネーミングは大切に育てられるプロセスが「箱入り娘」を連想させることからつけられました。

17年には、福井県小浜市の漁師らと協力し、酒かすをエサとした養殖サバ「小浜よっぱらいサバ」を誕生させました。小浜市とは福井産のサバを京都に運んだ「鯖街道」の復活をうたう「小浜鯖復活プロジェクト」を立ち上げました。

19年には温泉地で養殖・加工するブランドサバ「湯遊(ゆうゆう)サバ」を開発。独自のミネラル温泉水に漬け込み、凍結加工した商品でした。温泉地で湯遊びするイメージ。温泉とサバをコラボレーションさせて新たな地域産品を産み出し、地域を活性化させる「温泉地養殖鯖プロジェクト」でした。ハイテク技術を活用し、地方の活性化につながるサバの養殖事業などへと領域を広げてきました。

「サバにかかわるすべての人が、幸せになっていただきたい。それがミッションです。サバっていいよね、サバでハッピーになったね。そういうビジネスモデルをつくっていきたい」

「サバ×観光」の1つ成功事例ができたときには「どんどんまねをしてほしい。サバだけではなく、タイでも、イカでも、ハマチでもいい。全国にサバの村、タイの村があっていい。そして、サバビレッジの成功が水産離れに一石を投じることができればと」。

事業を通じ、社会問題の解決も目指しながら成長を続けるナニワの中小企業。「2030年にはサバの総合商社で世界一を目指すため、日々“サバ”イバルしています」。豊富なアイデアと「サバ愛」で、人を引きつける45歳は、いま最高に脂がのっています。【松浦隆司】(ニッカンスポーツ・コム/コラム「ナニワのベテラン走る~ミナミヘキタヘ」)