元TBSアナウンサーの吉川美代子(68)が、アナウンサー養成所「生島アカデミー」が今秋開講するビジネスコースの教官に就任する。今年3月いっぱいで45年所属したTBSグループを離れ、新しい道に踏み出した。「女子アナという職業は存在しない、アナウンサーです」と、女性ニュースキャスターの先駆けとして道を切り開き、フリーアナやコメンテーターなどとして幅広く活躍中。これまでの足跡、そして思い描く未来を聞いてみた。(敬称略)【小谷野俊哉】

★仲いい先輩相談

この4月からTBSアナウンサーの1期先輩、生島ヒロシ(71)が会長を務める芸能事務所「生島企画室」に所属した。「生島アカデミー」が今秋開講する「ビジネスコース」の講師を務める。

「TBSを定年退職後も、TBSグループの(マネジメント会社)キャスト・プラスに所属していたんです。ずっとTBSという名前の下で仕事をしてきて、安心感がありました。でも、このままズルズルとTBSにいるのもと、仲の良かった先輩の生島さんに相談したんです。『じゃあ、美代ちゃん、僕のところに来ないか』ってなりました」

生島アカデミーでは、アナウンサー養成の講師ではない。キャスター、そしてアナウンス学校運営のキャリアを生かして「ビジネスコース」を担当する。

「TBSを辞めてからの講演会は、商工会議所とか、銀行、信用金庫の取引先の経営者、お医者さんたちの集まりで、話し方の講演をすることが多かった。普通のアナウンススクールで教えるのとは違うけど、大丈夫です」

1977年に、9年ぶりに女性アナウンサーを採用したTBSに入社。男女雇用機会均等法が施行されるのは、その9年後の86年。

「TBS初の女性ニュースキャスターになった時に『俺の原稿は女に読ませるな』とか言われて悔しい思いをしました。定年の時に悔しさや怒りがこみ上げるかと思っていたら、思い出すのは楽しいことばかり。今年の3月にTBS(グループ)を去る時も、寂しさって全然なかった。やりきったというか、なんの後悔もありませんでした」

★バラエティーも

局アナ時代はキャスター、アナウンススクール校長と硬派一辺倒。定年後はフジテレビ系「全力!脱力タイムズ」のようなバラエティー番組にも出演する。

「バラエティーに出るのは、私の中で仕事としてきちんと消化しているので、全然違和感がない。報道志望だったけど、まだ女にはニュースやらせないという時代で、報道の仕事ができたのは入社5年目。それまでは歌番組とか、いろいろなことをやっていた。バラエティーに抵抗とか拒否感はないです。ただ、やっぱり『ここにいていいのか』とは思いました。明石家さんまさん、有田哲平さん、有名な女優、俳優さんと同じスタジオで座っている自分がすごく不思議でした」

アナウンサーになることを強く意識したのは、中学生の時だった。

「私の中学のブラスバンドが、TBSラジオの『こども音楽コンクール』に出たんです。演奏の前の学校紹介を、放送部だった私がやりました。その時、司会のアナウンサーが文さん、山本文郎アナウンサーで『未来の吉川アナウンサーですね』って言ってくださった。大学の就職活動の時はアナウンサーは狭き門ということで、もう1つの夢の中学教員の採用試験に受かったんです。そうしたらTBSが9年ぶりに女性アナウンサーを採用するということになって、試験を受けたら受かったんです」

84年10月に平日夕方「JNNニュースコープ」のキャスターに抜てき。北京支局長などを歴任した記者出身の田畑光永キャスターの隣に座った。入社8年目だった。前年4月から平日朝「JNNおはようニュース&スポーツ」のサブキャスターを務めていた。

「田畑さんと組む女性キャスターを探していた報道スタッフが、朝のニュースで頑張っている私を認めてくれた。『朝のニュース終了後にちょっと手伝って』と声をかけてくれました。リニューアルする『ニュースコープ』の新しいスタジオの仮セットが、どんな感じか見てみたいからと頼まれました。田畑さんと少しやりとりして、原稿読みも。翌日には決定。テストだったんです」

★ニュースコープ

“報道のTBS”の看板番組に女性として初のキャスター就任。49歳の報道記者の田畑キャスターに対し、30歳のアナウンサーの吉川キャスターは互角に渡り合った。

「『ニュースコープ』の編集長が、私が女性だからと、全部のニュースを田畑さんに読ませはしなかった。私だけが軽いニュースじゃなく、基本的には交互にニュースを読むようにしてくださった。だから、番組を休みたくなかった。1度も有給休暇は取りませんでした。夏休みとかで、今は必ず代わりの人がやります。『ニュースコープ』は、田畑さんが正月休みや夏休みの時、私が1人で担当しました。一人前のキャスターとして扱ってくれていたんです。代打が務まるような仕事はさせてない、してないっていうことですね」

00年に「TBSアナウンススクール」開校。翌年から14年の定年まで校長を務めた。教え子にはフリーアナ、女優として大活躍中の田中みな実(35)とTBSのエース、江藤愛アナウンサー(36)がいる。

「全国の放送局に教え子がたくさんいますが、一番根性が据わっていたのはみな実。アナウンサーになるためで、友達をつくるために通ってるわけじゃないと。授業前に、みんながおしゃべりしているのに、みな実だけは1人でアクセント辞典を見て調べていました。目的意識がはっきりしていて、それに向かってやっていた。江藤は、同級の女の子たちにすごく好かれてたから、女性視聴者に好かれると思いました。素朴な感じで、いつもニコニコ。吉田明世もいいアナウンサーになりました」

吉川は「女子アナという職業はない、アナウンサーという職業があるだけ」と厳しく指摘した。

「田中みな実なんか、プロ意識が強いから女子アナを演じちゃってた感じでした。ディレクターや視聴者が求めている女子アナをね。今、呪縛から解かれて、すごく振り切って、よかったと思います」

吉川の薫陶を受けたTBSの女性アナに、08年入社の加藤シルビア(36)がいる。入社5年目から夕方のニュース「Nスタ」を4年間務めた。結婚して現在は3人目の子供の産休中だ。

「すごく優秀なのに、産休で離れると、なかなか報道番組に戻れない。スポーツで頑張ってた高畑百合子も産休に入ったけど、ちゃんと元に戻してほしい。産休は今の時代は当たり前。時代は変わっているんです。セクハラが冗談でもダメになったように、産休が終わったら無条件で元の番組に復帰させないとダメ」

趣味はジャズ。聞くだけではなく歌う。

「音楽教師の父がジャズ好きで、その影響で高校のころからジャズを聴くようになりました。歌い始めたのは40歳から。本格的なライブをやりたくなって最近先生についてレッスンを受けています。楽しみにしていてください」

▼TBSの1期先輩で所属事務所「生島企画室」会長のフリーアナウンサー生島ヒロシ

新人時代から吉川さんのことはよく知っていますが、まさにプロ中のプロです。意識が高く、責任を持って後輩を指導し育てる。もし、アナウンサーになっていなかったら、素晴らしい教育者になっていたことでしょう。今後は「生島アカデミー」で日本のリーダーに向けて「アピール力」や「スピーチ力」を教えていきたいと考えていますが、吉川さんは紛れもなく、その貴重な戦力です。

◆吉川美代子(よしかわ・みよこ)

1954年(昭29)5月8日、横浜市生まれ。77年に早大教育学部を卒業してTBSに入社。77年TBSラジオ「野球はドラマだ」。78~81年同「こども音楽コンクール」を担当。83~84年「JNNおはようニュース&スポーツ」キャスター、84~88年「JNNニュースコープ」キャスターを務めた。01~14年TBSアナウンススクール校長。14年5月TBSを定年退職。現在はフジテレビ「全力!脱力タイムズ」などに出演。今年4月から生島企画室所属。160センチ。血液型AB。

◆生島アカデミー

生島ヒロシが学長を務め、アナウンス養成「基礎コース」「応用コース」の講師を元フジテレビ寺田理恵子、元NHK内藤裕子らが務める。吉川が講師の「ビジネスコース」が今秋開講。経営者や政治家向けには「エグゼクティブコース」も。