98年に死去したX JAPANのギタリスト、hideさん(享年33)が5月2日に没後20年を迎え、関連イベントが各所で開かれた。

 20年前の葬儀で強烈に印象に残るのは、献花に並んだファンたちのマナーあふれる振る舞いだった。サッカーワールドカップや羽生結弦の凱旋(がいせん)パレードなど、ゴミひとつ残さないファンの美学が話題になることは多いが、原点はここにあると思っている。

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告別式に飾られたX JAPANのhideさんの遺影=1998年5月
告別式に飾られたX JAPANのhideさんの遺影=1998年5月

 hideさんの葬儀が行われた築地本願寺は、日刊スポーツ本社のすぐ近く。仮通夜の準備段階から本願寺の正門前には徹夜組を含めて500人以上のファンが詰めかけ、大混乱となっていた。翌日にはファンが悲鳴を上げて正門のフェンスに殺到し、警備員と小競り合いになることも。そんな無秩序な光景が、マスコミによって伝えられていた。

 事態を打開したのはファンだった。「私たちがこんなことでは、hideが恥ずかしい思いをする」と、どこかのしっかり者が呼び掛けると、同じ志を持っていた人たちがあっという間に連帯の輪を広げていった。遺体が安置された3日昼から告別式の7日までの5日間、互いに呼び掛け合って整然と列をつくり「近隣に迷惑をかけない」ことで団結していた。

 「ゴミはありませんか」と列を回って集める人たちや、ほうきとチリトリを持って約700メートル先の勝鬨橋の方までたばこの吸い殻を掃除する人もいた。宝塚歌劇のファンが紙吹雪を掃除して帰るのは見たことがあるけれど、ロックファンで見たのは初めてだった。ファンによると、そもそもhideさん自身がきれい好きだったらしい。黒い服と奇抜な髪の色という彼らのファッションは注目を集めたけれど、こうした美学や自主性はもっと注目を集めた。

 ほかにも、泣く泣く帰る地方のファンの花束を引き受ける人や、そういう花がしおれないようにバケツの水を用意する人も。SNSのない時代に、初めて会う人たちが悲しみを共有し、支え合って献花の時を待っていた。「ファンのレベルを見ればタレントのレベルが分かる」というのは芸能記者の共通認識。取材各社に、みるみるファンとhideさんへの敬意が広がり、報じられていったのを覚えている。

築地本願寺を後にするhideさんの霊きゅう車(左車線)と、歩道を埋め尽くすファン=98年5月7日
築地本願寺を後にするhideさんの霊きゅう車(左車線)と、歩道を埋め尽くすファン=98年5月7日

 告別式では約2万5000人(築地署調べ)ものファンが隅田川沿いまで約2キロにわたって列をつくったが、最後までゴミ問題とは無縁だった。本願寺の向かいは小学校。告別式の日は混乱を避けるために早下校になったけれど、文句を言う保護者はいなかった。

 亡くなってなおファンをまとめたhideさんもすごいし、「hideならどうする」としっかり応えてみせたファンの意地も尊い。故人が望まないであろう後追い自殺があったことも事実だし、出棺で車道に飛び出す一部のファンの絶叫がクローズアップされるのも仕方がないことだけれど、あの場にいた人たちが当時の世の中に刻んだファンの流儀は、その後の芸能界やファンのあり方に大きなインパクトを残したと思う。hideさんが残したものは、音楽や人柄だけではないのだと実感している。

【梅田恵子】(ニッカンスポーツ・コム/芸能記者コラム「梅ちゃんねる」)