30代に突入した97年、作詞したシングル「ロマンス」がヒットした。90年代にスウェディッシュポップブームを起こした「カーディガンズ」を手掛けたスウェーデンの名プロデューサー、トーレ・ヨハンソン氏とタッグを組んだ意欲作。さわやかなメロディーにのせて、あふれ出る恋心を歌った曲だ。これが転機だったと振り返る。

 「自分の道が見えてきた実感、何かを作り上げて誰かに届いたという実感をしっかり受け止めた時でした。1つ目の結果が5年ぐらいで出たという喜びがあって。どんどん音楽をやりたいと思いました」

 音楽に集中する時期、女優に集中する時期を以前は分けていたが、最近は両立できるようになった。

 「心に余裕が生まれたんでしょうね。音楽に関して言うと、女優で稼働している時も次の流れを考え、提案してくれる人がいるから同時進行ができる。原田知世というものを一緒に作るチームができたことが大きい。40代になって気負いなく、子供の時のように歌えるようになってきたかな」

 最近10年は音楽活動が充実していると手応えを感じている。全国ツアーだけでなく、歌と朗読の会なども開催。カフェや寺、美術館などを舞台に選び、ギター1本で歌うこともある。

 「毎回違う環境で歌うのはいい勉強。そこで歌ったら、もう怖いものがないくらい。日々変わっていく自分の歌声を、じっくり見つめる余裕ができました」

 もともと趣味が少なかったが、好奇心は旺盛だ。

 「最近はワークショップ的なものに誘われたら、行こうと思っていて。手作りみそ、草木染、(破損部分を金で修復する)金継ぎ、書などに行きました。食は人生の中の楽しみなので、買い物に行くより、友達と何かおいしいものを食べに行ったりします」

 35周年を迎えた。支えになったものは2つある。

 「お仕事では、いい出会いがたくさんあったこと。プラス、心がホッとする場所は家族です。母や姉(女優原田貴和子)がデビュー後間もなく、長崎から東京に出てきてくれ、故郷を持ってきてくれたというか。家に帰ると、いまだに長崎弁です。姉や家族とよくご飯を食べますが、姉の子供たちはハヤシライスが好きなので作ったりします」