市原悦子さんが12日、心不全で亡くなった。

訃報を耳にした時、1対1で取材した約4年前のことを思い出した。

市原さんを取材したのは、15年の映画「あん」(河瀬直美監督)で、樹木希林さんと初共演した件について、紙面で一報を報じるためだった。どうしても樹木さんと初共演した感想を直接伺いたく、多忙な中、無理を言って時間をいただいた。

市原さんは、57年に俳優座、樹木さんは61年に文学座でデビューした。樹木さんが60年代からテレビドラマに進出した一方、市原さんは舞台を軸に活動を続けた。その後、市原さんは70年以降にTBS系「まんが日本昔話」の声などでテレビ界でもブレークしたが、ともに日本を代表する女優ながら、その歩みは交わることがなく、私生活でも全く親交がなかった。それが「あん」で主人公のハンセン病患者・徳江を演じた樹木さんから「一緒にお仕事したい」という推薦の一言があり、出演を決意した。

市原さんに出演を決めた理由をストレートに尋ねると、即答した。

「50年以上、1度もご一緒しませんでした。希林さんは年を経たこと、お体の具合も万全ではないことが魅力的にしているのかなと。楽しかった」

樹木さんは、13年春に医師から「全身がん」の宣告を受けた。それ以降、「がんに生かされている」という考え方で自分の体と向き合い、仕事と私生活をマイペースで両立していた。14年6月に治療が一段落したタイミングだったが決して体調は万全ではなかった。

一方、市原さんも12年にS状結腸腫瘍で映画「東京家族」(山田洋次監督)を降板。1度は映像への出演に自信をなくし、06年「バルトの楽園」以来、映画に出演していなかった。当時、市原さんは79歳で樹木さんは72歳。互いに病を経験し、70代を超えて初共演できたことへの感慨を、かみしめるように語った声は、「まんが日本昔話」で語るように静かに…それでいて、ズシンと腹の底に染みるようだった。

市原さんが「あん」への出演を決めた大きな理由が、もう1つ…それは劇中で描かれた「樹木葬」だった。14年4月に夫の舞台演出家・塩見哲さん(享年80)を肺がんで亡くした際、自然を重視し、墓石の代わりに植樹して墓標にして弔う樹木葬を営んだ。樹木さんの推薦を受けた河瀬監督から出演のオファーを受けたのは、その後だった。同監督が「樹木さんの直感を信じ、お会いし、だんな様を亡くされた直後で樹木葬にされたことを聞き、ご縁だと思った」と言えば、市原さんも「自然との共生について地に根を張っていらっしゃる」と共感し、出演を決めた。

市原さんは「あん」で、樹木さんが演じた徳江の親友の佳子を演じた。劇中では佳子が亡くなった徳江を「樹木葬」で弔ったシーンが登場するが、樹木さんは18年9月に75歳で亡くなり、その4カ月後に市原さんは82歳で亡くなった。詩人で作家のドリアン助川の小説を映画化した「あん」の物語の中で演じたように、日本を代表する女優が相次いで亡くなったのは、単なる偶然かも知れない。

市原さんは生前、葬儀について「緑の森の中で眠りたい」と、「あん」の出演の決め手にもなった樹木葬で旅立つことを望んでいたという。17日に都内で営まれた通夜では、墓地は塩見さんが眠る関東近郊の森の中にある樹木葬墓地の隣に用意し、樹木葬で埋葬されることも明らかになった。「樹木葬」にこだわった市原さんの思いが「あん」とリンクし、何だか偶然とも思えなくなった。

そんなことを思い巡らせるうちに、市原さんを取材した瞬間が昨日のことのように思い出され、当時、書いた原稿を読み返すと、市原さんのこんな言葉があった。

「日本の美味である、あんを手作りすること、手を取り合い、人が人を救うこと…全ていい映画」

50年以上、芸能界で互いに女優として名をはせながら、1度も共演したことがなかった樹木さんと親友同士を演じたこと。

樹木さんの推薦に加え、夫の塩見さんを弔った「樹木葬」を描いた映画だったから「あん」に出たこと。

出演した思いを聞きたいと若輩者の記者が突然、取材を申し込んでも、すぐに受けたこと。

取材の時間を割いた記者の質問の全てに、真っすぐ即答したこと。

塩見さん、樹木さん、そして私…。市原さんは、きっと、その瞬間、瞬間の「人」を見て、思いを動かされれば真っすぐに向き合った人なのだろう…そう思い、心の中で手を合わせた。